サッカー元日本代表の松田直樹氏は、所属していた横浜F・マリノスのサポーターだけでなく、全てのサッカーファンに愛された選手だ。アトランタ五輪で「マイアミの奇跡」となったブラジル戦に出場し、トルシエ・ジャパンでも活躍。15年にわたって横浜F・マリノスでプレーして「ミスター・マリノス」と呼ばれた。そんな松田氏はどんな人物だったのか、愛弟子の栗原勇蔵氏が明らかにした。
鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演した栗原氏は、横浜F・マリノスの先輩で同じセンターバックだった中澤佑二氏と松田氏について聞かれ、こう答えている。
「中澤さんは常に全力で、手を抜かない。努力の人って感じで、元々の能力はすごいあると思うんですけど、その上で自分で足りないものを練習して補うとか、そういう姿勢はすごいなと思った。松さんはもう全く逆で、そういう努力を人に見せない」
松田氏が練習に望む時の姿勢についても明らかにした。カラーコーンを回る練習の時、松田氏はちゃんと回るのかと鈴木氏から聞かれると、
「回んないすね。ゴリゴリショートカットで。やっぱり勝ちたいじゃないですか、フィジカルでも。あんなに中を通られたら、どんだけ速い人でも勝てないんですよ。もうYo-Yoテスト(音に合わせてダッシュを繰り返す練習)でも、音が鳴る前に半分ぐらい行ってたりとか。そういうのがまかり通っちゃってる人。でも、やる時にはやっちゃう」
人柄についてはこう評したのだった。
「最後の方は先輩と後輩が入れ替わってんじゃないかっていうぐらい。もう(松田氏は)少年じゃないですか。自分はだんだん大人になってきて『松さん、しっかりしようよ』って言うような。でも本当に面白くて。ピッチに立てば頼りがいもあるし、ピッチ外になれば心配しかないような人でしたけど、本当に人間味があっていい人だったなって思います」
先輩として指導してくれた松田氏だったが、決してプレーをほめることはなかったとか。それでも、こんな忘れられないエピソードがあるという。
「人をまず認めないっていうか。2010年に試合の後に初めて『お前に任せられそうだな』って言われた記憶があって。それまではもう『まだまだお前、全然ダメだよ』って常に言われて。言葉と行動が伴ってないから、そんなの気にもしなかったんですけど、『お前の今日のプレーしてたら、もう俺、別にいなくてもいいわ』。普段そういうふうにけなされているというか、言われていただけあって、余計に嬉しかった」
そして最後にこう語ったのである。
「ただサッカーをやってるだけじゃなくて、男としてこうあるべきとか、そういうところを学んだかなと思います。生き方、生き様みたいなものを。なんせ、かっこよかったじゃないですか。みんな憧れてたと思う。マリノスでいえば松さんを超えるような人って、俊さん(中村俊輔)とか佑二さん(中澤佑二)もいますけど、サポーターに愛されてたのは松さんだったと思うし、今後もなかなか出てこないような存在なのかなって感じはします」
松田氏は2010年いっぱいで横浜F・マリノスを去り、2011年からJFLの松本山雅FCでプレー。この年の8月、急性心筋梗塞によって練習中に倒れ、34歳の若さでこの世を去った。栗原氏の話であらためて、偉大な選手であることがわかるだろう。
(鈴木誠)