アサ芸読者の皆さん、こんにちは! おニャン子クラブ会員番号4番の新田恵利です♬
令和の時代って、ユーチューバーやインスタグラマー、ティックトックやら自分自身で有名になるチャンスの場を獲得できる時代になりましたよね。
私が「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)で芸能界デビューをした昭和では考えられないことです。そもそも、私が芸能界入ったきっかけですが、当時、「オールナイトフジ」(フジテレビ系)が流行っていて、それを観ていた先輩が「今度さ、女子高生スペシャル番組ができるみたいだから応援してみたら?」と声をかけてくれたんです。
芸能界に興味はなかったんですけど、「ハワイに行けるかもよ!」というこの一言が大きかった(笑)。ハワイ、憧れですよね! 応募内容には「美少女コンテスト」と「オールナイターズの女子高生版」の2つがあったんですが、美少女じゃないのは、端っから自分でわかっていたので、「オールナイターズの女子高生版」に応募しました。
そうです、きっかけはハワイ! 懸賞目当てで応募したんです(笑)。そして、なぜだかすんなりオーディション通過。
ところが大誤算がありまして、ハワイに行けるのは「美少女コンテスト」の優勝者だけだったんです(苦笑)。でも、その頃の私は高校の授業が終わると駅前にあるケーキ屋さんでバイトをしていて、時給370円だったんですね。それが、「夕やけニャンニャン」のアシスタントだと、ワゴンに積んだ景品を運んだり、ハガキの宛先や郵便番号を案内するだけで日給5000円もいただけたんです。もう完全にお金に目がくらんでしまって(笑)。
それでも最初のうちはアルバイト感覚が抜けなくて、「週に月・水・金にしてください」なんて的外れなことをスタッフさんに言っていました。シフト制みたいな感じで(笑)。
それが「セーラー服を脱がさないで」のメインボーカルに選ばれたことで「毎日出てきなさい」と言われたんです。
それからは、もう目まぐるしく時間が過ぎていきました。高校が3時過ぎ頃に終わると廊下を猛ダッシュ。電車に1本乗り遅れたら生放送が始まっちゃうから日々、命がけです(笑)。
当時、まだ子供も多い時代だったので、3年生のクラスも9組ありました。で、玄関に一番近いのが1組。私は8組だったから、キンコンカンコンと鐘が鳴る中、玄関に向かってダーッと走るわけです。すると、みんなが教室から顔を出して、「今から?」「頑張って!」って応援してくれました。
番組の視聴率が上がるにつれ、上履きがなくなったりしましたね(笑)。買っても、買ってもなくなっちゃうので、もう後半はずーっと先生のスリッパを借りてました(笑)。ノートも持って行かれちゃって真っ青になったことがあったんですが、クラスメイトの女子たちが「恵利は国語だけ」って、あとの教科は一人一教科ずつ、お友達が担当してノートを写してくれました。そのおかげで無事に卒業ができました。今思えば字も全然違うし、先生、絶対に気づいてましたよね(笑)。
学校は共学だからか、とてものびのびとした環境でした。でも楽屋では、番組の人気が出てくるにしたがって誰かしらが泣いてましたね。メンバー内でのいじめだと思われがちですが、違うんです。女子高に行っている子が、学校で嫌味を言われたり妬まれたりすることが多くて泣いていました。
取材でも「国生(さゆり)さんとは犬猿の仲だったんですか?」って聞かれるんですけど、もう本当に、学校に通っているっていう感覚と一緒で、彼氏やプライベートの話をする親友と、挨拶しかしないクラスメイトっているじゃないですか。
さゆりちゃんは挨拶しかしないクラスメイト。仲が悪いとかそういう関係ではありませんでした。彼女は地方から出てきているし、この世界で一旗揚げるというようなハングリー精神も旺盛。年も上でしたし、私みたいなバイト感覚で自宅から通っている甘ちゃんのことはきっと腹立たしいと思っていたかも(苦笑)。スタッフの大人たちが面白おかしく作り上げたっていうのが本当のところです。
実は、国生派にも新田派にも数名しかいなくって、派閥にもならないの(笑)。
ちなみに、国生派は福永恵規ちゃんとか、樹原亜紀ちゃん、名越美香ちゃん、あとはレコード会社つながりで城之内早苗ちゃんと仲がよかったですね。
人気が出るにしたがって、怖い経験もしました。
番組が終わると、みんなタク送で帰るんですけれど、局の出口には「追っかけ」がすごくいっぱいいて、付いてきちゃうんです。50ccの原付バイクは高速には乗れませんけど、中型バイクとか車は追いかけてくる。
タクシーの運転手さんもプロの腕の見せどころ? 頑張ってくれました。それでも家が近くなって、まだ追っかけがいると「ちょっと、待ってなさい。」って車を停めて、追っかけの人たちに「もう帰りなさい」って説得してくれたようです。
昔の大人ってそうやって自分の子供じゃなくても守ってくれましたよね。学校の先生もそうだったし、とても恵まれていたと思います。
つくづく昭和はいい時代でした(笑)。
新田恵利(にった・えり)1968年生まれ、埼玉県出身。85年に「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)で芸能界デビュー。86年、ソロ曲「冬のオペラグラス」が大ヒット。その後も女優、執筆活動を続け、21年に自身の経験をもとに「悔いなし介護」(主婦の友社)を刊行。昨年より淑徳大学で客員教授も務める。