米国の近未来の内戦を描いた話題作「シビル・ウォー アメリカ最後の日」の公開が始まった。「2024年最大の問題作」との触れ込みの作品だ。今の米国の政治的な分断状況を背景にしている。
連邦政府からいくつかの州が独立して武装化し、ホワイトハウスの現政権が危機を迎える。その内戦のさなか、戦場カメラマン、ジャーナリストら4人がニューヨークからワシントンに向かう。
内戦の発端の経緯は描かれない。様々な武装勢力の中枢に迫ることもない。取材のためにホワイトハウスを目指し、車で移動するカメラマンたちが遭遇する戦争=戦場の生々しい情景を追う。
ある土地で出会う出来事に、身も凍るような怖さがあった。そこには、トラックから死体を降ろしている兵士たちがいた。赤いサングラスをかけた1人の兵士が出身地を問い詰める。「中南米か南米か」。
ここで、ある米国内の地域を言う2人は、ことなきを得た。「そこは米国だ」と、一応は許される。ところが次の1人は、米国以外のある出身地を言い放つや、射殺された。そこは日本ではない。日本ならどうであったか。グサッとくる。
戦闘シーン以上に、そして死者の描写以上に、生きている人間、人が怖いのである。戦争とは、あくまで想像ではあるが、そこに本質の一端があるように思えてならない。
人が人でなくなる。なぜそうなったか、ではない。問答無用に人を平気で射殺する人が、そこにいるのだ。
後半以降に激しくなっていく戦闘シーンは、驚きの連続である。カメラマン志望の若い女性が我を忘れたかのように、ぐんぐん前のめりになって、日本製の古いカメラのシャッターを押し続ける。
反対にベテラン記者たちは、あることをきっかけに、ちょっとした虚脱状態になっていく。ヒューマニズム的な見地に立てば、後者の2人が人間的なのだが、若い女性の突進力がまた、戦争の何たるかを強烈に語っている恐ろしさがある。
個人的に、来年のアカデミー賞に絡むのではないかと思ったが、聞いたところでは、どうやらそうでもないらしい。評価が高いとはいえ、アカデミー賞的な作品とは微妙にニュアンスを異にするとのことだ。
その意味がよくわからないのだが、類推すれば「問題作」というより、本作は「エンタメ系」とみられるのだろうか。確かにエンタメ大作となると、アカデミー賞は遠のく。それはこれまでの受賞歴が物語っている。ただ、本作はその地点で立ち止まっているわけではない。
来年のアカデミー賞に注目してみたい。本作は無視か。あるいは、なんらかの評価があるのか。個人的には今のところ、洋画ベストワン級の作品である。何回でも見たくなる。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2024年には33回目を迎えた。