サッカー日本代表がW杯初出場を決めたフランスW杯最終予選は、ジェットコースターのような展開だった。
1997年9月28日、国立競技場で行われた韓国戦で逆転負け。暗雲垂れ込める中、アウェーのカザフスタン戦で終了間際に同点に追いつかれ、加茂周監督は更迭された。急遽、岡田武史監督を据えてで臨んだ続くウズベキスタン戦では終了間際に同点に追いつき、ドロー。2位と勝ち点差1という状況で、10月26日の国立競技場でのUAE戦は、勝てば2位に浮上する大一番となった。
試合は前半、呂比須ワグナーが先制するも同点に追いつかれ、そのまま引き分けで終わり、自力での2位浮上が消えた。勝利を逃したことに加え、試合中、レフェリーのUAE寄りジャッジが目立ち、ほぼロスタイムを取らないまま終了のホイッスルを鳴らしたこともあって、サポーターの不満が爆発。会場周辺で日本サポーターが暴徒化し、警察が出動する騒ぎになった。
カズこと三浦知良が外の様子を見るために現れると、怒り心頭のサポーターが鉄格子のフェンス越しに罵詈雑言を浴びせ、卵を投げつけた。あの温厚なカズが「ふざけんなよ!」と怒りをあらわにしたほどだ。
その後、記者室に戻ろうとした時、暗い競技場のベンチに誰か座っているのが見えた。日本サッカー協会の小倉純二専務理事だった。
筆者は近づいて「大変なことになりましたね」と話しかけると、理事は何も言わずにうつろな表情で「ハア~」とため息をつき、下を向いたのだった。この様子を見た筆者は「ああ、終わったな…」と感じたのである。
だがその後、日本はアウェーの韓国戦に快勝。さらにUAEがホームのウズベキスタンで引き分けて、日本は奇跡的に2位に浮上する。最終的にアジア第3代表決定戦でイランを破り、歓喜に沸くことにはなるとは、とても想像できなかった。
(升田幸一)