毎年のように紛糾する「プロ野球ドラフト会議」が、10月24日に開催された。今年は投手は金丸夢斗(関西大学)、野手は宗山塁(明治大学)と、投打の目玉選手がドラフト前から大いに盛り上げてくれた。
ドラフト制度は1964年、パ・リーグのオーナー懇談会で西鉄ライオンズの西亦次郎社長が導入を提案。翌年に第1回ドラフト会議が開催された。1993年には上位候補選手が希望球団に入団できるよう「逆指名制度」が導入されたが、一部球団による裏金問題が発覚。不正の温床になることで、2007年からは撤廃された。
これまで数々のドラマを生んできたドラフト会議だが、野球ファンが「最もエキサイトした」と口を揃えるのは、2011年の巨人と日本ハムの1位指名合戦だ。
この年、巨人は首都大学リーグで通算成績37勝4敗、防御率0.57、347奪三振の記録を残した東海大学の菅野智之を1位指名。当初、巨人入りを熱望する菅野には複数の球団が興味を示していたが、原辰徳監督とは伯父と甥という血縁関係を考慮し、指名を諦める球団が相次いだ。
ところが土壇場になって、日本ハムが参戦。巨人ファンからは「ふざけるな!」「日本ハムいいかげんにしろ!」と怒号が飛び出すことに。
抽選では巨人の清武英利球団代表が先にくじを引き、残りを日本ハムの津田敏一球団社長が手にしたが、先にくじを開いてガックリと肩を落とす清武代表の姿に、SNS上は大荒れ。実況を行っていた掲示板では「ありえない。こんなの絶対に許されん」「原監督が放心してる」など巨人ファンの恨み節が殺到し、あまりの勢いにサーバーが一時ダウンする事態に発展した。
結局、菅野は日本ハム入団を拒否し、1年浪人。大学に残って自主練習をしながら、翌年のドラフト指名を待った。そして2012年のドラフト会議で、巨人から単独1位指名を受けたのは周知の通りである。
日本ハムは2012年のドラフト会議でも、ドジャースやレンジャース、レッドソックスと面談してメジャー挑戦の意向を示していた大谷翔平を、またもや強行指名。球界を揺るがす「大谷問題」を引き起こしている。
有力選手には複数球団の1位指名が重複し、抽選で交渉権の行方が決まる。選手にとってはプロ人生のスタートを大きく左右される制度だが、獲る方もまた、激突覚悟の姿勢なのである。
(ケン高田)