1980年代の芸能マスコミは今振り返ってみると、本当にとんでもない世界だったと思う。ワイドショーは連日、芸能人のスキャンダルや交際情報、破局情報を報じた。「芸能人にはプライベートがない」というのが芸能マスコミの基本姿勢で、まさに「不適切にもほどがある!」そのものだ。そのど真ん中にいたのが、歌手の松田聖子だった…と言えるだろう。
筆者も聖子に関する取材で、現場に行ったことが何度もある。が、度を越した過激な取材姿勢に、思わず「引いた」経験があった。
その「事件」は聖子が郷ひろみと交際していた1984年6月、成田空港で起きた。結婚間近という報道がある一方で、一部では破局の噂が出始めていた。そんな聖子がハワイに行くということで、マスコミが成田空港に殺到。空港サテライトに聖子が現れると、テレビクルーやカメラマン数十人が一斉に聖子を取り囲んだ。
聖子は団子状態のまま、その搭乗口に向かおうとしていたが、ここでアクシデントが発生する。テレビカメラが聖子の後頭部を強打したのだ。「キャー!」という聖子の悲鳴が聞こえ、さらに背後から押されたらしく、集団の中心にヒザをついて倒れている聖子の姿があった。
報道陣はさすがに「やりすぎた」と感じたのか、動きを止めた。その後、聖子は無言で立ち上がり、搭乗口に向かう。今だったら「暴力行為」として厳しく断罪されるだろう。筆者もここまで追われる聖子に同情した。
しかし聖子は、予想の斜め上の行動をとるアイドルだった。この7カ月後の1985年1月31日、聖子は単独で郷との破局会見を開き「生まれ変わったら一緒になろうね、と約束しました」という名言を残した。さらに2月には映画「カリブ・愛のシンフォニー」で共演した神田正輝との交際が発覚。4月に婚約を発表した。
筆者が「同情した」アクシデント以降の10カ月間、破局⇒交際⇒婚約…と芸能マスコミに特大のネタを与えて続けた聖子はもはや、無敵の存在になっていた。成田空港で転倒し、無言で立ち上がった姿は、今となってはたくましくも思えてくる。
(升田幸一)