アイドルの歌がヘタと言われたのは70年代の話。80年代はカラオケブームを背に、実力を持った「アイドル歌姫」が次々と誕生した。日本歌手協会の合田道人理事長と、元「ジャズ批評」編集長でアイドルにも造詣の深い原田和典氏が激論を交わす。
自身も聖子や奈保子らと同じ80年度にデビューした合田氏が、当時の背景を踏まえてイチオシするのは、
「別格だと思ったのは岩崎良美(60)。姉・宏美がいたこともあって、レコード会社のディレクターやテレビ局のプロデューサーも、良美だけ挨拶に行っていました。歌声としても、姉と同じで声楽家・松田トシ先生の指導を受けているから、最初から群を抜くうまさでした」
80年組の象徴である松田聖子はどうか。原田氏が熱弁を振るう。
「特に初期の『青い珊瑚礁』(80年)など、圧倒的な歌声です。山口百恵はマイクを通した声の魅力ですが、聖子に関してはマイクがなくてもいいんじゃないかと思えるほど。声質がどこまでも明るく、突き抜ける感じですね」
ただ、当時のアイドルは今ほど歌唱力が評価されることはなかったと合田氏は言う。
「聖子にしても『赤いスイートピー』(82年)や『ガラスの林檎』(83年)でようやく“聖子色”が出て、うまいと言われるようになったと思う」
80年組では、河合奈保子の歌唱力が耳目を集めた。前出・合田氏も絶賛する。
「第2期のバラード路線ではなく、デビュー曲の『大きな森の小さなお家』(80年)から圧倒的にうまかった。声の伸びも、完璧な音程の取り方もあって、さらに誰もが認めるプロポーション。天は二物を与えたとはこのこと」
続いて82年組である。女性歌手で初めてレコード大賞を2連覇(85、86年)した中森明菜がいるが、前出・原田氏はこう分析する。
「当時のカラオケ業界では、聖子よりも明菜派の女性が多かった。低音部からパーンと跳ね上がっていく肉厚な感じが、歌っている人たちにも気持ちよかったんでしょう。いわゆる『的にピタリと当てる』というイメージで。井上陽水提供の『飾りじゃないのよ涙は』(84年)や、ラテンの松岡直也が手掛けた『ミ・アモーレ』(85年)など、テンポの取り方も抜群です」
意外な名前と言っては失礼だが、82年組では早見優(55)も評価が高い。
「デビュー曲の『急いで!初恋』(82年)はうまかった。歌手はまず音程、そして声質なのだと思わされた」(前出・合田氏)
合田氏は「亡くなった本田美奈子(享年38)も時代を代表する歌姫だった」と追想する。もうひとり、若くして世を去ったといえば岡田有希子は惜しまれる逸材だった。前出・原田氏が語る。
「歌唱力もありますが、アイドルとして最も優しい声の持ち主だったんじゃないかと思います。あのまま成長したら、どんな歌手になっていたのかと思うと残念ですね」
選ばれし歌姫たちの曲が聞こえてくる‥‥。