2026年のサッカーW杯は、アメリカ・カナダ・メキシコの3カ国共催で行われる。アメリカでのW杯開催は1994年以来、32年ぶりとなる。
その1994年W杯は残念ながら、日本はあの「ドーハの悲劇」で出場を逃したため、筆者はひたすら他国の試合を観戦し続けた。オウンゴールをやってしまったコロンビア代表の選手が帰国直後に射殺されたり、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナがドーピング検査に引っかかり出場禁止となるなど、世界に衝撃を与える事件が次々と起こった大会でもあった。
ブラジルとイタリアによる決勝は7月17日の午後12時35分、気温38度といううだるような暑さの中、ロサンゼルス郊外のローズボールで行われた。
試合は0-0のまま、延長戦でも決着がつかず、PK戦に突入。イタリアの5人目のキッカー、ロベルト・バッジョが外し、ブラジルが4回目の優勝を決めた。
ただ、この当時のブラジルは人気がなかった。メディアには「守備的」と批判され、決勝でパレイラ監督の名前が紹介されると、ブラジルサポーターから大ブーイングが起きたほどだ。改めてメディアとファンの、ブラジル代表への厳しい姿勢を痛感したものだ。
決勝の夜、ブラジルの祝勝会があると聞き、会場となったロサンゼル郊外のホテルに行ってみた。冒頭、キャプテンのドゥンガが喜びの気持ちを語り、選手が退席した後にチームスタッフやメディアら数十人が祝杯をあげる…という質素なものだった。ところが、だ。
酒が進むにつれて酔いが回ったのか、2人の男が口論を始めた。それは次第にエスカレートして一方が殴りかかかり、取っ組み合いの大ゲンカとなった。ポルトガル語なので何を言っているのか分からなかったが、筆者がチーム関係者に拙い英語で事情を聞いてみたところ、どうやらブラジル代表のチームスタッフと、それまで散々批判してきた記者が口論となった、ということだった。
この騒動で、上の部屋にいたブラジル代表選手が出てきて、2階のテラスからバトルの様子を眺めていた。印象的だったのはドゥンガをはじめ、選手たちの冷めた表情だった。「ああ、またやってるよ…」とアキレているように見えた。
数々の修羅場をくぐってきたブラジル代表選手にとっては、この程度で動じることなどないのだろう。
(升田幸一)