ド派手な格好でフェラーリに乗って、愛馬応援のため競馬場に現れたり、セールでは億単位で馬を次々と落札。はたまた高額馬の名前をテレビ番組とタイアップさせたりと、数々の逸話で馬主界の風雲児と言われたのが、「フサロー」の愛称で知られる豪快馬主・関口房朗氏だった。
関口氏が代表取締役を務める会社の女性従業員から「実家の牧場にいる競走馬を買ってもらえませんか」と懇願されたのが1980年代のことだ。その後、馬主生活をスタートさせた関口氏は、自身が所有する競走馬に「フサイチ」(房朗が一番、の意)という冠名を付けた。
だが当然のこと、新参者がすぐに勝てるほど競馬の世界は甘くはない。所有する馬はなかなか勝てず、「もやはこれまで」と思った矢先に出会ったのが、関西の有力調教師として知られる小林稔氏だった。
1993年に小林氏を通じて所有馬となったのが、その後、フサイチコンコルドとして大活躍する幼駒だったのである。
競馬ファンには説明の必要もないが、フサイチコンコルドはとにかく強かった。1996年1月の新馬戦では「関西の秘密兵器」として初出走。1番人気の支持を受け、ぶっちぎりで勝利。続くすみれステークスでも勝利し、見事に日本ダービー出走権を手中にした。
だが無敗とはいえ、キャリアはたった2戦。しかもたび重なる熱発というアクシデントもあり7番人気にとどまった。
はたしてレースでは最後の直線で抜け出した武豊騎乗のダンスインザダークを外から強襲、クビ差で劇的勝利を収めたのである(写真はフサイチコンコルドと藤田伸二騎手/JRA提供)。
馬主生活わずか10年。さらにキャリア2戦での日本ダービー制覇は、戦後初の快挙だった。ダービーオーナーの勲章を手に入れた関口氏はその後、国内だけでなく海外のセリにも意欲的に参加。1998年にはアメリカで1歳馬を400万ドル(約5億5000万円)で落札したが、これが後のフサイチペガサスで、ケンタッキーダービーで見事に優勝。日本人、いやアジア人としてアメリカンドリームを体現した関口氏は一躍、時の人となるのだった。
だが、そんな「ミスター大盤振る舞い」の馬主生活にも翳りが見え始める。関口氏は2001年に参議院選挙に出馬するも、落選。2007年にも参議院選挙に挑戦したが、またも落選となった。
そんな中、競馬界に大激震を走らせたのが2007年9月、出演した金融・経済の専門番組で同氏が言い放った「正直申し上げて、馬はもうやめます」という衝撃発言だったのである。スポーツ紙競馬担当記者の話。
「関口氏はこの年に会長を退任して相談役に就任するも、わずか1年も経たずに退任しています。一説には7月の参院選に落選したことで、金銭的、精神的に大きなダメージを受けたのだと。ただ、それもあくまで憶測でしたが…」
2010年3月には、史上最高額で落札したザサンデーフサイチが裁判所により差し押さえられたとの報道があり、2013年8月、フサイチクローバーの船橋競馬での現役引退を受けて、馬主活動が完全に終了したと伝えられた。
「ミスター大盤振る舞い」の名前は今も、競馬界の歴史に刻まれている。
(山川敦司)