「日本外交の常識」杉山晋輔/2970円・信山社
アメリカ大統領選でトランプ前大統領の就任が決まった。「アメリカファースト」を突き進むトランプ政権に、日本はどう立ち向かうべきなのか。安倍・トランプ会談の内幕を知る元駐米大使の杉山晋輔氏に、今後の外交について鋭く迫る!
名越 杉山さんは外務次官や駐米大使を務め、朝鮮半島や中東も含めて日本外交の最前線でグローバルに活躍されました。その成果をまとめたのが本書ですね。
杉山 はい。各国との関係を条約や外交文書を基礎に書きました。
名越 本書のタイトル「外交の常識」の意味について教えてください。
杉山 まず「台湾有事」を例に取ってお話しします。最近、この言葉はよく聞かれますが、台湾の国際法上の帰属を正確に言える人は多くありません。1945年の終戦の後、日本は台湾を放棄しましたが、どこに対して放棄したかについてサンフランシスコ平和条約には書かれていないのです。日本が台湾の帰属に関して明確に発言しないのは、このためです。
名越 台湾同様、日本が放棄した樺太や千島がどこに属するかも、1951年のサンフランシスコ平和条約には明記されていないですね。
杉山 ソ連はそれが不満で、サンフランシスコ平和条約の締結国になりませんでした。これが後の「日ソ共同宣言」につながるわけです。こうした議論の余地がないことは押さえた上で、政策論を闘わせた方が深まると思って本書を書きました。
名越 これらの件について、外務省職員は皆常識として知っているのですか?
杉山 私が外務省に入った当時は、外交官試験に国際法と外交史が必須でしたから、当然、知っていました。ところが、不祥事などの関連で、国家公務員試験に統合されてからは、国際法が選択で残っているだけです。結果、こうした外交に携わる上での常識を学んでいるのかどうか、やや心許ない気がします。
名越 01年の外交官試験の廃止など、外務省改革を経て外務省はよくなりましたか。
杉山 外交官試験が外務省の鼻持ちならない意識の元凶だと言われていましたから、それがなくなったとすれば、よいこともあるでしょうね。
名越 記者として見ると、首相官邸は長年、外交を外務省に丸投げしてきましたが、安倍政権では外交は官邸が主導し、外務省は官邸に従属するようになった気がします。特に杉山さんが次官を務めた時(16年~18年)の今井尚哉首相秘書官は、人事にも横やりを入れたと噂に聞きますが‥‥。
杉山 彼は首相の最側近でしたから、よく話をしましたけど、官僚の人事について何か意見を言われた記憶はありません。官邸主導が強まったのは事実ですが、それはもっと前からありました。米ソ冷戦時代はすべてが米国中心でやっていけばよかったけど、終結後は日本だけでやることが増えた。オプションが多いから官邸に相談することも増えたということでしょう。
ゲスト:杉山晋輔(すぎやま・しんすけ)1953年愛知県名古屋市生まれ。77年早稲田大学法学部中退、80年オックスフォード大学卒業(1992年同大学修士)。77年外務省入省、総合外交政策局国連政策課長、条約局条約課長、アジア大洋州局長、外務審議官( 政務)、外務事務次官、アメリカ合衆国駐箚特命全権大使などを歴任。21年外務省顧問。現在、早稲田大学特命教授。
聞き手:名越健郎(なごし・けんろう)拓殖大学特任教授。1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社。モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長などを経て退職。拓殖大学海外事情研究所教授を経て現職。ロシアに精通し、ロシア政治ウオッチャーとして活躍する。著書に「秘密資金の戦後政党史」(新潮選書)、「独裁者プーチン」(文春新書)など。