確かにそう思う気持ちは、わからなくもない。だがいかんせん、あんな場所でそれを口にすれば、批判にさらされることは容易に想像できただろうに…。
2012年8月23日、夏の甲子園「第94回全国高等学校野球選手権大会」閉会式で、その事件は起こった。
この日の決勝戦では大阪桐蔭が光星学院を3-0で破り、甲子園出場49校の頂点に立った。ところが閉会式の大会総評の最中に、高野連会長の奥島孝康氏の口から、信じられないセリフが飛び出したのである。
「地方大会では有力校が次々と敗退するなど、夏を勝ち進む難しさを痛感させられました。その中で全国大会に駒を進めた49代表は、記録と記憶に残る戦いを演じてくれました」
ここまではおなじみの定型文だったのだが、ナニを思ったのか、続けてこう言ったのだ。
「とりわけ残念なのが、大谷投手を甲子園で見られなかったこと」
岩手県の花巻東に籍を置く大谷翔平を引き合いに出し、個人的見解を述べてしまったのである。
大谷は岩手県水沢市(現・奥州市)出身。地元の小・学校を卒業後、菊池雄星に憧れて花巻東高校に進んだ。恵まれた体格と超高校生級の技術で、1年生の春には「4番・右翼手」で公式戦に出場し、秋からはエースとして登板することになった。
2年生で甲子園に出場するも、初戦で大阪桐蔭に敗退。しかし高校最後の3年夏は、岩手県大会の決勝で15奪三振と力投するも、盛岡大付属に敗れ、甲子園のマウンドに立つことはかなわなかった。スポーツ紙デスクが当時を振り返る。
「夏の岩手大会決勝で先発した大谷は0-1で迎えた3回、盛岡大付の4番・二橋大地に左翼ポール際に3ラン本塁打を浴びたものの、この打球がポールを巻いたか巻いていないのか、フェアかファウルなのかをめぐり、物議を醸しました。判定の結果、フェアとなり、この一発で花巻東は3-5で敗戦となりました。大谷は試合後、打った二橋に対し『ナイスバッティング』と声をかけて球場をあとにしたことが、伝説として残っています」
これで大谷の高校野球は終わったわけだが、高野連には抗議の電話がじゃんじゃんかかってきた。
「県大会で優勝し、甲子園に出場した盛岡大付高に失礼極まりない。いったい何を考えているんだ!」
そりゃそうだろう。当然ながら、大会関係者が陳謝に追われる事態となったのである。
奥島会長は後年、批判の声について、
「メチャクチャありましたね。甲子園にも出てないところの選手について、個人的なことを言うのはまことにけしからん、とね。だけど逆にずいぶんとその後(の大谷の活躍で)慰められました。あれだけの人間だったんだから、誰でも見たがるよねと。僕はもう、絶対にあんな大物はいないと思って、つい愚痴が出てしまった。これが高校野球の困ったところでね、ひとつの試合の話をすると『なんでそこだけ切り取るんだ』と。みんな思い入れが強いものだから」(東京スポーツ/2023年3月19日)
とはいえ、口は禍の元なのであった。
(山川敦司)