今季から巨人でプレーする田中将大は、日米通算200勝まで残り3勝と迫っている。ヤンキーから楽天に復帰した際は2シーズンほどで達成し、勝ち星を積み上げいくとみられていたが、ここ数年の投球を考えれば、難航が予想される。故障でもしようものなら、志半ばでユニフォームを脱ぐ可能性さえあるのだ。一部では、
「マー君も残念名球会入りか」(スポーツ紙遊軍記者)
という声が漏れている。
「残念名球会」とは、200勝や2000安打にあとわずか届かなかった球界OBが、自重気味に話したことで球界内に広まった言葉だ。
その代表的な投手は、広島OBの長谷川良平氏。167センチ、57キロの横手投げで「小さな大投手」と呼ばれ、197勝している。現在のマー君と同じ勝ち星だ。2006年に亡くなったが、地元放送局OBは、こんなエピソードを披露する。
「かつての広島はキャンプ中に首脳陣とマスコミ関係者が草野球をすることがあり、長谷川さんもマウントに上がっていた。普段は温和な人だったけど、野球となれば別。エラーした若手記者に対して『俺は現役時代からいつも、バックに足を引っ張られる』と、グラブを叩きつけたことがあったぐらい。その負けん気が197の勝ち星を積み上げる原動力になったんでしょうね」
当時は「球界のお荷物球団」と呼ばれた広島に在籍しながら、川上哲治や初代ミスタータイガース・藤村富美男との名勝負を繰り広げた。実質的に200勝以上の価値があるのだ。
190勝台で現役を退いた投手は、ほかに2人いる。いずれも入団したチームが違っていれば、200勝達成は確実だった。
大洋ホエールズのエースだった秋山登氏がそのひとりだ。選手、指導者時代を通じて大洋ひと筋。カミソリシュートで193勝まで積み上げて、球団初の日本一に貢献したが、名球会にはあと一歩、届かなかった。
元ヤクルトの松岡弘氏は通算191勝。
「もう少し頭を使った投球をしていれば、200勝どころか250勝できた、と言われるほどの投手。とにかく球はすごかった」(球界OB)
現在は東京大学野球部で指導している。松岡氏のボールに最高学府の頭脳がミックスされれば、どんな選手が生まれるか、楽しみである。
ちなみに打者での「残念名球会」入りは、1826安打の高橋慶彦氏や1904安打の松永浩美氏などが挙げられる。
この「残念名球会」、本当に発足したら、それはそれで面白いのだが。
(阿部勝彦)