「野球は筋書きのないドラマ」だが、これに「ツーアウトから」が絡めばより一層、ドラマチックになる。
1989年8月12日、ナゴヤ球場で行われた中日対巨人20回戦。中日の4番・落合博満が、9回2死から逆転サヨナラ3ランを放った。
巨 0 0 0 0 0 0 0 1 2=3
中 0 0 0 0 0 0 0 0 4=4
巨人の投手・斎藤雅樹はまるで金縛りにあったようだった。マウンドでピクリとも動かない。腰に両手を当てて、センター方向をぼう然と眺めていた。
ナゴヤ球場が揺れに揺れた。中日ファンが割れんばかりの大歓声で熱狂した。
中日が2点を追った9回2死一、三塁。打席に立った落合は初球のボール球を見送った。続く2球目、141キロの真っすぐが内角低めに来た。その真っすぐに的を絞っていた。振り抜いた打球は中堅右に消えた。絵に描いたような劇的弾となった。
落合が珍しく笑っていた。ナインが総出で出迎えて抱き抱えた。
同年の落合はロッテから中日に移籍して3年目だった。35歳。三冠王を3度取り、シーズン前には4度目の三冠王獲得を公言していた。
だが、この時点でどのタイトルも獲れそうになかった。巨人ウォーレン・クロマティ、阪神セシル・フィルダーら、外国人バットマンが注目を集めていた。
そんな中で日本人選手最高年俸1億3000万円(推定)の男が意地を見せた。
落合が打席を振り返る。
「真ん中、低めの真っすぐでしょ。甘く入ってきた。もう少し高ければフライだったな。打順が回ってきただけのこと。もっと早く打たなくちゃ、いかん」
そして、こう続けた。
「この年だよ。今頃、20号なんて遅い。でも打たなきゃ‥‥」
試合後、斎藤は目に涙をためながら無言で歩いた。口を真一文字にしたまま、帰りのバスに乗り込んだ。
すでに日本記録を作っていた。近鉄・鈴木啓示が78年に記録した連続完投勝利の記録「10」を塗り替える「11」を達成していた。
記録は7月21日の阪神戦に負けて途切れたが、以後も好調だった。この試合までに15勝を挙げていた。
斎藤は82年にドラフト1位で入団。88年まで29勝14敗の成績を残していた。前任監督の王貞治時代は1軍と2軍を往復し、敗戦処理を務めた時期もあった。その王に代わって、藤田元司が89年から再び巨人の指揮を執った。藤田は斎藤を高く評価していた。
斎藤は当時「ノミの心臓」と言われ、精神面に課題があった。だが、藤田は「お前は気が弱いんじゃない。優しいんだ」と再指導し、先発ローテーションの一角として起用した。
右サイドスローからの真っすぐは威力があり、鋭く曲がるカーブとシンカーを武器にした。藤田の復帰とともに、眠っていた実力が一気に開花した。
この試合でも、MAX145キロの真っすぐと大きなカーブが面白いように決まった。力でねじ伏せた。8回を終えた時点で、四球と失策の走者を許しただけのノーヒットノーランが続いていた。
ナゴヤ球場が緊迫した空気に包まれていた。9回も先頭、8番の中村武志を空振り三振に仕留めた。76年の加藤初以来、巨人史上10人目となる快挙は目前だった。
あと2人。ここで中日監督の星野仙一は、代打に音重鎮を送った。この日、二軍から一軍登録されたばかりだった。
期待に応えた。
「ただストレートを狙っていた」
初球の内角球を叩くと、打球は右翼線にポトリと落ちた。
この瞬間、大記録は泡と消えた。巨人ベンチから中村稔投手コーチが「間を置くために」とマウンドに走った。斎藤は作り笑いをしていた。動揺は明らかだった。それでも1番・彦野利勝を二飛に打ち取った。
あと1人——。それでも斎藤は大記録を逃した1本のことを考えていたのか、集中力を欠いていた。2番・川又米利に四球を与えた。
2死一、二塁、さらに3番の仁村徹が「落合さんにつなげば何とかなる。それだけ」と右前に適時打を放った。タイムリーとなり、完封負けも消えた。
3対1と2点差になり、ナゴヤ球場3万5000人と中日ベンチが1つになり燃えていた。
斎藤の肩の力が抜け、無安打を続けていた時に比べて球威が落ちていた。落合がこれを見逃すはずはなかった。
藤田がバスに乗り込む寸前、「俺も9回2死までやったことがあるけど‥‥」と斎藤の心中を思いやれば、星野は「よっしゃあー、オチ」とヒーローと熱い握手を交わしていた。
9回表に巨人がクロマティと原辰徳の連続本塁打で、ダメ押しと思える2点を挙げた時には誰もが巨人の勝利を確信していた。そして斎藤の大記録も——。
だが、筋書きのないドラマは最後に2死から奇跡のような幕切れを呼んだ。
落合にはどこか、斎藤に対して上から目線の雰囲気があった。
この年、巨人投手陣を支えた先発3本柱は槙原寛己、桑田真澄、そして斎藤だが、精神的にまだ課題が残っていることを打者の目から知っていたのだ。
斎藤は20勝をマークして中日・西本聖と最多勝のタイトルを分け合った。以降も最多勝を4度獲得するなど「平成の大エース」と呼ばれた。
落合は「でも打たなきゃ‥‥」の言葉通り、同年は40本塁打をマークし、116打点で4度目の打点王に輝いている。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。