驕る平家は久しからず! フジテレビと言えば、言わずと知れた国民的アナの登竜門。〝才色兼美〟の自慢の局アナたちをアイドルに仕立て、一時は「女子アナ王国」と栄華を極めたが、今や〝性上納〟まで取り沙汰される始末。これや如何に! その爛れた体質は遡ること50年前に原点があったという。
1月29日の発売以来、フォトエッセイ「透明を満たす」(講談社)が写真集部門で売り上げ1位を驀進中なのが、元フジテレビアナウンサー渡邊渚(27)。そんな彼女が「週刊現代」2月10日号の独占インタビューに応え、フジテレビの「体質」に関わる、出色のエピソードを披露している。
在職当時、飲み会の誘いを断ると仕事がなくなる、という風潮が社内にあったことを認めたうえで、実際の飲み会において、〈ある大物芸人がいた飲み会では、その場にいた女性アナウンサーが卑猥な言葉を言わされるという場面があった〉と発言しているのだ。
ひと昔前のテレビ業界ならいざしらず、彼女の入社時は、すでにコンプライアンスが厳格化していたはず。一発アウトとなりかねない事案だ。そうならなかったことも含め、少なからずフジテレビ内に、女性が生きづらい独特の社風がハビこっていたと言わざるを得ないだろう。
こうした社風はいつから始まったのだろうか。その答えを探すと「元祖女子アナ王国」の50年前にその源流を垣間見ることができた。アナウンサーがまだ「男の仕事」で、女性アナウンサーが確立されていなかった時代。その嚆矢となったのが、故・頼近美津子と田丸美寿々(72)のご両人だった。
まずは頼近から。彼女はNHKに入局後、バラエティーから報道に進出し、その親しみやすさから人気を博した。また、当時女性アナとして「NHKニュースワイド」のキャスターを務めるなど、文字通りエリートコースを歩んだのだが、81年になんと民放であるフジテレビに移籍し、人々を驚かせた。さらにサプライズが続く。芸能リポーターの石川敏男氏が振り返る。
「フジテレビ副社長でオーナー一族である故・鹿内春雄氏と電撃結婚したのです。実は、結婚前から同社主催のフジサンケイクラシックへ、彼女をヘリ同乗で連れていくなど社内的には話題に上っていたようです」
実際、当時は上司と部下という関係で「公私混同ではないか」という指摘もなされ、一時は怪文書までまかれる騒動になった。結果的に責任を取ったことで一件落着となったが、ネット全盛の今なら、もっと騒然としていただろう。
一方の田丸は、大学の後輩にあたる頼近がまだNHK時代の78年、ニュースキャスターとして抜擢され、いわゆる女性キャスターのさきがけとなった。この田丸や頼近たちは「女子アナ」と称され、男女ともに羨望の的の職業となる。つまり、フジテレビは「女子アナ」の生みの親とも言えるワケだ。ちなみに、硬派路線を歩んだ田丸もスキャンダルに見舞われている。女子アナウオッチャー・丸山大次郎氏が語る。
「フリージャーナリストの男性記者と不倫の末に略奪婚を成就。当時、大人気キャスターの略奪婚ということで大きな話題となりましたが、約8年で離婚しています」
その後の活躍は世間が知るところだ。