80年代後半から、フジテレビの女子アナ依存はさらに重症化する。その代名詞と言えたのが、88年入社の河野景子(60)、故・有賀さつき、八木亜希子(59)の〝花の3人娘〟だ。
「3人娘の登場が、いわゆる女子アナブームを加速させたのは間違いない。彼女たちが人気を得たことで、日テレなど他局もこぞって女子アナたちを前面に押し出すようになった。いわば女子アナのタレント化ですね」(石川氏)
ちなみに、3人娘はそれぞれ、華麗な恋愛歴で大きな話題を呼んだ。
「ミスソフィアだった河野はその美貌がウリでしたが、後に貴乃花と結婚してまさかの女将さんに(その後離婚)。天然ぶりが人気だった八木は、ウンナン・内村光良と6年間交際しましたが、破局。後に一般人と結婚しています。有賀さつきは所属事務所社長との不倫騒動のあと、先輩だった故・和田圭氏と結婚し、一児をもうけた後に離婚。その後はシングルマザーとして新たな人生を歩みましたが、18年に惜しまれながらも病のため亡くなりました」(丸山氏)
波瀾万丈の人生を歩んだ3人娘だが、望むにせよ、望まないにせよ、女子アナタレントとしてその端緒を切ったことに違いはない。要するに彼女たち「素人」をタレント化させてフジテレビは成功を収めたのである。
「女子アナ以前に『オールナイトフジ』(83年〜)で女子大生たちをメインに押し出して女子大生ブームを仕掛け、『夕やけニャンニャン』(85年〜)では女子高生ブーム、さらにおニャン子クラブを誕生させて大人気を博した。このように、すでにフジには成功例があり、素人のタレント化には長けていたということです」(石川氏)
因果なことに、これらブームを呼んだ2つの番組でディレクターを務めていたのが、今回の騒動で辞職した港浩一前社長(72)だ。
この女子アナタレント戦略はフジの十八番となり、3人娘の1期先輩である中井美穂(59)は、逆にタレントとはほど遠い「普通」っぽさと親しみやすさから「プロ野球ニュース」の看板になり、世のオヤジたちのハートを鷲掴みにすることに。
その後も、フジテレビはひたすらこの路線を踏襲し、千野志麻(47)の「チノパン」から始まる新人女子アナ売り出し番組のパンシリーズを、高島彩(46)、生野陽子(40)、加藤綾子(39)、‥‥と続けた。念のため言うと、当然ながら、このような番組企画は「男性アナ」には適用されていない。
00年以降の番組でも、深夜番組「音箱登龍門」(04年)で中野美奈子(45)が卑猥な言葉責めを受けるなど悪しき風習は続いていた。だが、その後は露骨な演出こそ姿を消していたのだが‥‥。
「女子アナの商品化」とともに黄金期を迎えたフジテレビ。今やスポンサーからは総スカン、出直ししようにも「昔取った杵柄」も無用の長物。為す術なしで漂流している‥‥。