日本ハムの大谷翔平は優勝決定の瞬間、両手を大きく突き上げると、プロ4年目にして初めて味わう歓喜の輪の中に胴上げ投手として飛び込んだ。
2016年9月28日、日本ハムが西武プリンスドーム(現ベルーナD)での対西武25回戦で、4年ぶり7度目(東映時代含む)のリーグ制覇を達成した。
工藤公康率いるソフトバンクとの最大11.5ゲーム差を引っ繰り返しての球史に残る大逆転Ⅴだった。
●西武0 -1日本ハム
この試合は、勝てば優勝の大一番だ。先発を託されたのは、投打でチームをけん引してきた4年目の大谷だった。
この日は、二刀流ではなく投手専任だった。期待に応えた。快投乱麻の投球で、最後までマウンドを譲らなかった。
被安打1で、5者連続を含む15奪三振。4回にブランドン・レアードが放った、ソロ本塁打の1点を守った。初完封勝利で優勝に花を添えた。「ピッチングで1回もホメたことがないけど、最高でした」
監督の栗山英樹がこう評したほどだった。
大谷は「こみ上げてくるものがありましたが、ソフトバンク戦と違って、淡々と冷静にいけた感じです」と最大のライバルであるソフトバンクを引き合いに出して、優勝の瞬間を振り返っている。
今や世界のスーパースターとなったドジャースの大谷。同年の日本ハムの優勝は、この男の活躍を抜きには語れない。
「リアル二刀流」を初めて世間に知らしめ、同時に2年連続日本一の王者・ソフトバンクの勢いを止めた記念碑的な1戦がある。
7月3日、ヤフオクドームでのソフトバンク対日本ハム14回戦だ。
日 1 0 0 0 0 1 0 0 0=2
ソ 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
3位の日本ハムは、7月1日から敵地でのソフトバンク3連戦に臨んだ。この時点で9.5ゲーム差だ。
日本ハムは初戦から連勝して、交流戦からの連勝を9に伸ばしていた。栗山は10連勝をかけた3戦目に、思い切った手を打った。
「1番、投手・大谷翔平」
スタメン発表にヤフオクドームが揺れた。試合前、選手食堂にスタメン表が張り出されると、チームメートたちは騒然となった。杉谷拳士は「7度見くらいしました」と舞台裏を明かしている。
現代野球の常識からかけ離れた起用法だった。
「1番・投手」での出場は、71年のヤクルト・外山義明の記録が残っているだけだった。
もっとも、前日の2日に栗山から告げられた大谷自身も「すごくビックリしました」と振り返っている。
1番打者は13年5月6日の西武戦で経験していたが、投手としての1番打者はアマ時代を含めても初めてだった。
だが、ここから大谷の野球漫画の主人公のような大活躍が始まる。
1回表、注目の第1打席。中田賢一が投じた初球、真ん中付近のスライダーを捉えて、右中間席中段に叩き込んだ。
投手としての先頭打者本塁打は、詳細な記録が残る60年代以降初の快挙で、大谷にとっても野球人生初めての初球・先頭打者本塁打となった。
1回裏、2死から柳田悠岐、内川聖一に連打を浴びて一、二塁となったが、これを切り抜けた。
2回から4回も得点圏に走者を置いたが、得点を許さない。5回から1本の安打も浴びずに、3回以外毎回の10奪三振、8回を5安打無失点に抑えた。
最速161キロの真っすぐに、110キロ台の変化球を織り交ぜる緩急自在の投球だった。
打者としては5度打席に立って、2打数1安打3四球だった。
日本ハムも、大谷の本塁打以降は7回まで無安打。6回に中田翔の押し出し四球で、ようやく2点目を入れていただけだった。投手・大谷にとって楽な展開ではなかった。
9回をクリス・マーティンが締めて、日本ハムはソフトバンクを3タテし、10連勝で2位に浮上、ゲーム差は6.5となった。
栗山監督は言った。
「一番いいバッターにたくさん打席が回る」
大谷の1番は、指揮官の常識にとらわれない柔軟な思考が生んだ切り札だった。
ヒーローも声を揃えた。
「5番だったら(1回に)回ってくるかわからないし、1人出たら準備もしなくてはいけない。1番は最初から絶対に先頭で回ってくるから、やりにくさはなかった」
「1番・投手」での大谷の勝利は衝撃的だった。これでソフトバンク独走の潮目が大きく変わったのだ。
日本ハムは連勝を球団新記録となる15まで伸ばし、8月25日に初めて首位に立った。最後はソフトバンクとの死闘を制して、美酒を味わった。
大谷は前年、15勝を挙げ、16年には10勝、打者としては22本塁打、67打点、打率3割2分2厘をマークしてMVPを獲得。さらにはベストナインで史上初となる「投手」「DH」でのW受賞を果たした。
13年から5年間在籍した日本ハムでベストシーズンとなった。日本最速の165キロを記録したのも同年だ。
大谷は17年11月11日午前11時、日本ハム時代に付けていた背番号「11」にちなんだ日時に記者会見を開き、米大リーグ挑戦を表明した。
栗山と大谷の師弟は「投打の二刀流」で常識を覆し続けてきた。大谷は「一番の選手になりたい」と目標を掲げた。
以後の異次元の活躍は周知の通りである。150年以上の歴史を持つメジャーの記録を次々と塗り替えている。
25年、大谷は2年ぶりに二刀流に復帰するだろう。また新たな光景を我々に見せてくれるに違いない。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。