2025年は阪神タイガースの球団創設90周年。1935年、日本最大の甲子園球場を有する阪神電鉄が球団経営に乗り出し、34年創設の読売ジャイアンツに次ぐ2番目に歴史のあるチームだ。
長い球団史上において、数多くの名選手を輩出したが、こう豪語したレジェンド投手がいる。
「野球は1人でも勝てる」
孤高の左腕エース・江夏豊だ。
73年8月30日、甲子園球場での阪神対中日20回戦。この試合に先発した25歳の江夏は延長11回を投げてノーヒット・ノーランを達成した。延長戦で無安打無得点試合が記録されたのは史上初めてだった。
しかも江夏自身のサヨナラ本塁打で決着をつける破天荒な記録となった。
中 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0=0
阪 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1=1
劇的なクライマックスだった。悲壮でいて、痛快なドラマがついに幕を降ろしたのだ。
延長11回裏、先頭打者・江夏はかすかに残るエネルギーにかけていた。やるしかない。勝負に出よう。
中日の先発・松本幸行の初球、胸元真っすぐを叩いた。打球は夜空に高々と舞い上がり、右翼ラッキーゾーンに落ちた。
重い足を引きずりながら本塁を踏むと、ナインが揉みくちゃにした。ヒーローは泣きださんばかりだ。スタンドのファンの長い拍手が続いた。
「ほんまにどう言ったらいいか。まだ、ピンとこんのや。まさか入るとは思わんかった。ストレートが来たから思い切り振ったんや。ノーヒットもピンとこん」
この年、セ・リーグのペナントレースは「プロ野球始まって以来の激戦」と言われた。8月26日時点で、3ゲーム差内に6球団がひしめく大混戦となっていた。
阪神はこの勝利で中日を蹴落として、首位に浮上した。巨人が中日にゲーム差なしの3位となった。
打者34人に対して142球、内野ゴロ12、内野飛球5、外野飛球7、捕邪飛1、奪った三振は7個だった。
出した走者は4回2死後、谷沢健一への死球と、5回2死後の広瀬宰への四球だけだった。
江夏は2日前の中日18回戦(甲子園)で先発・上田二朗の後を受け、8回から登板して65球を投げていた。この試合は延長10回2対2の引き分けで終わっている。
8月20日からの10日間で5度登板して、3度が延長戦だった。
しかも30日は中1日からの先発である。最初から飛ばしては体がもたない。
「できるだけ球数を増やさずに打たせて取る」
変化球でカウントを稼ぎ、内角球は遊び球にして外角で勝負した。
剛速球1本槍だったが、制球力の良さは抜群だった。外角球に関しては言うことがなかった。三振奪取の剛腕だ。
「目をつむってもストライクが投げられる」と語ったほどである。
66年、第1次ドラフトで1位指名を受けて入団。高校時代はひたすら走った。砲丸投げで記録を作るなど地肩が強く、走り込みで下半身が強化された。これが制球力向上の土台となった。
相手の左腕・松本も素晴らしかった。阪神打線は江夏のサヨナラ本塁打が出るまでわずか3安打だった。
江夏といえば、71年7月17日、西宮球場で行われた球宴の第1戦で達成した空前絶後の「9連続奪三振」があまりにも有名だ。
この快挙の陰に隠れて見落としがちだが、江夏は2回に2走者を置いて、米田哲也から右翼へ3ラン本塁打を放っている。それも場外に消える特大弾だった。
「三振してもいいつもりで振った。ボクはめったに当たらん代わりに当たると—」
セ軍を指揮していた巨人・川上哲治がビックリした。
「江夏は速かったが、その力投よりもホームランがすごかった。あんなに飛ばしたのだから」
ここぞの試合や場面で1発を放つ。これもまた持っている男の証明だ。
73年のペナント争いは最後、巨人と阪神に絞られた。ともにシーズン最終戦の130試合目で勝った方が優勝という展開になった(阪神は引き分けでもV)。
10月22日、甲子園での決戦は巨人が9対0という一方的な展開でリーグ優勝を決めた。
怒った阪神ファン3000人がグラウンドになだれ込み、無法地帯となった。
江夏はこの年、実に53試合に登板し、307イニングを投げて24勝13敗、投球数は4627にも上った。
江夏は76年に南海(現ソフトバンク)に移籍した。阪神在籍9年間で159勝を挙げていた。だが、その頃には血行障害で長いイニングを投げることができなくなっていた。
監督の野村克也が江夏に対し「革命を起こしてみないか」と口説き、77年から抑えに転向させ、19セーブを記録した。
翌78年に広島に移籍して3年間で計55セーブ、81年から日本ハムに移籍して3年間合計で88セーブを挙げた。
「優勝請負人」。プロ野球史上でも有名な最大級のニックネームを付けられた。
84年、西武に移籍してこの年限りで退団。メジャーに挑戦したがかなわなかった。
通算成績はプロ19年間で206勝158敗193セーブをマーク、数々の大記録を残した。プロ2年目の年間401奪三振はいまだに世界記録だ。
「野球は1人でも勝てる」
これは担当記者から「1人でも勝てるということだ」と言われ、黙ってうなずいたところ、本人のコメントとして1人歩きしたのだという。でも、この言葉は嫌みがなくスッと落ちる。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。