助っ人には闘う姿勢が問われるが、血の気が多すぎるのもたまにキズ。中には逮捕者まで登場して‥‥。
球史に残る乱闘劇の主役といえば、リチャード・デービス(84~88年、近鉄)が筆頭格だ。86年6月の西武戦でデッドボールを受け、マウンドの東尾修のもとに駆け寄るとプロボクサー顔負けのパンチを放ったものだ。打撃では文句なしの成績をあげて活躍したが、88年のシーズン中に大麻取締法違反で逮捕されて解雇となった。
「六本木に外国人助っ人が通うバーがあり、当時はクロマティ、バース、アニマル、ブーマー、そしてデービスら大物が夜な夜な交流をしていたといいます。みんなで日本球界の悪口を言い合って、ストレスを発散していたらしい。そこでもデービスだけは少し浮いた存在で、大麻や女関係にだらしがない札付きのワルだったとの噂があります」(長谷川氏)
対戦相手ばかりか、チームメイトをも傷つけていたのはメル・ホール(93~94年、ロッテ/95年、中日)。
「ヤンキース時代のチームメイトでロッテでも同僚になったヘンスリー・ミューレンをいじめていた。それもあって95年、逃げるようにヤクルト入りしたミューレンが活躍して優勝、日本一に貢献。ヤクルトファンからすると、ホールのおかげで日本一になったとも言えます」(長谷川氏)
ここまでならまだ笑い話で済むが、日本球界から去ると、ホールは07年に米国で未成年女子2人にワイセツ行為をして逮捕されたのだ。
「ワイセツ罪の一件では奥さん、娘さんを証言台に立たせて有利なことを言わせようとしましたが、うまくいかず、禁錮45年を命じられています。いまだテキサスの刑務所に入っているそうです」(猪狩氏)
巨人史上初の外国人開幕投手を務めるなど活躍した、バルビーノ・ガルベス(96~00年、巨人)も前代未聞の暴れっぷりを見せている。98年、判定を不服として、なんと審判に向かってボールを投げつけたのである。無期限出場停止処分となったが、チームだけではなくユンボ安藤にも大きな影響が。
「当時、私は『電波少年』(日本テレビ系)の『電波少年系熱狂的巨人ファン』という企画に匿名で出演していました(巨人が優勝したら素顔、名前公開)。ジャイアンツが勝たないと飯が食べられないというルールだったため、ガルベスの離脱は大きかった。それまではさんざん、彼の活躍で食べさせてもらっていましたからね。審判に投げた時のボールの軌道が見事なシュートというかツーシームで、試合で投げろよって思いましたけどね(笑)」(ユンボ安藤)
責任を取って長嶋監督が丸刈りにまでなるという、巨人の歴史に負の遺産まで残した選手でもあった。
ガルベス同様に過激なパフォーマンスが話題だったのは、ロッテでクローザーを務めたブライアン・ウォーレン(98~00年、ロッテ)。
「ウォーレンがボールにセメダインをつけたり、ヤスリで削っていると、西武の東尾監督がクレームをつけたことに腹を立てました。あてつけるようにヤスリ、サンドペーパー、ワセリンなどを大量に体につけて球場入りするようになった。西武打線を抑えると、ベンチにいる東尾監督に向かって中指を突き立てるというパフォーマンスまでするようになりました」(長谷川氏)
まさか、現役選手が空港の手荷物検査で銃弾が見つかり、逮捕されたこともあった。ヤマイコ・ナバーロ(16年、ロッテ)である。
「本人は母国から銃を持ち込んだと言うのですが、そうであれば成田で引っ掛かったはずなのに、見つかったのは那覇空港でした。結果、沖縄のヤバい筋から手に入れたのではないかと噂されました。同じ弾丸でも弾丸ライナーのホームランを量産してほしかったですが、ロッテは開幕から4週間も4番候補を失うことになった。退団後、18年にも銃器不法所持で逮捕されています。その時の銃には製造番号がなかったそうで、悪い筋との交流は本当だったのかと‥‥」(猪狩氏)
ナバーロと同じく現役時代に那覇空港でマキシモ・ネルソン(08~12年、中日)も銃刀法違反で逮捕されている。
「ナバーロとネルソンのことは『隠し球』コンビと呼んでいますよ。銃弾(タマ)を隠し持っていたんですから(笑)」(ユンボ安藤)
今季も外国人助っ人たちの活躍が大いに期待される。給料ドロボーと言われないよう、トラブルだけは願い下げにしてもらいたい。