狭いニッポン、そんなに競ってどうするの? ハタから見れば五十歩百歩にしか思えないことでもコト当事者にとっては1位か2位かは大問題! 決して譲れない「2位じゃダメ」バトルがそこにある、というわけで、全国津々浦々から厳選の火種を集め、寄ればもらい火必至の遺恨バトルをお届けしよう!
今日も、細長い日本列島の上を新幹線が縦横に走り抜け、ジェット機が飛び交う。子供の頃より日本が格段に狭くなったのは間違いない。それでも、昔からの因習のような都市同士が罵り合う因縁関係が依然として解消されないのはなぜ?「日本全国因縁のライバル対決44」(主婦の友社)の著者・浅井建爾氏が素朴な疑問に解答する。
「人間は本来、競争意識、あるいは闘争本能のようなものを持っているのでしょう。勝ち目がない相手にはライバル意識は持たないのですが、自分とさほど力の差がない相手や、頑張れば勝てそうな相手に対しては、異常なライバル心を燃やすケースが少なくありません。県や都市のライバルもこれと似ているのでは」
卑近なところで我が町内会と隣町会、あるいは自宅と、ご近所住民レベルで考えてみれば、相手を蹴落とそうとするライバル意識が自然と発生するのも自明の理だろう。
「例えば、兵庫県の赤穂市と愛知県の吉良町(現・西尾市)や、山口県の萩市と福島県の会津若松市など、歴史的な因縁からライバルというより敵対心を持っている自治体もあります。また、県庁移転問題で、いまだに根深いしこりの残っているところもあるのです」(浅井氏)
県民博士で携帯アプリ「全国制覇ズバッと!県民性」の監修を務める矢野新一氏が、津軽藩対南部藩の例を持ち出す。
「南部藩の配下だった大浦氏が津軽の地を奪取、その後、正式に津軽藩4万5000石の領地が認められた。この大浦氏の独立は、南部氏から見れば反乱独立であり、以後、南部藩と津軽藩の間には対立意識が生まれ、明治維新の時も南部藩は佐幕側に、津軽藩は勤王側に分かれて戦い、対立関係は今でも続いています」
ちなみに、同じ祭りにもかかわらず発音の違いだけで、今も青森は「ねぶた」、弘前は「ねぷた」と譲らないバトルも続いている。
明治維新由来の遺恨では放送中の大河ドラマ「花燃ゆ」は、吉田松陰の義理の弟・楫取〈かとり〉素彦(大沢たかお)が裏主人公。ドラマ後半では初代県令として群馬に赴任、住民の猛反発を受けながらも県庁所在地を高崎から前橋に移した史実があり、描き方しだいでは寝た子を起こす事態になりそうだ。
一方、3月14日に開業したばかりの北陸新幹線による余波が早くも日本海側に到達。これまで上越新幹線で関東近郊を死守していた新潟の牙城に金沢が合戦の名乗りを上げたのだ。
「新潟と金沢は歴史的に見ても、金沢のほうが断然大きかったが、田中角栄元総理の政治力で、上越新幹線を先に開通させたことで新潟が急速に発展して逆転。今回の北陸新幹線の開通で金沢市は新潟市に対し、より激しいライバル心を燃やしてくるでしょう。しかし、新潟には広大な越後平野があるので、金沢の再逆転は難しい。勝負するなら、歴史的な重みや都会的なセンスなどで争うのがいいでしょう」(浅井氏)
最速2時間半で東京─金沢間を結ぶ北陸新幹線の開業は、「日本海側NO1都市」を巡る新たな戦いの幕開けでもあったのだ。