行方八段が“その後”をこう語る。
「二歩の直後は、スタジオの空気が凍っていました。それでも結果的に早く対局が終わったので、放送時間の余りを埋めるため、(対局を振り返る)感想戦が行われました。こちらからは(二歩の)話題に触れたくなかったし、橋本君もしんどかったはず。収録が終わって私が控え室に引き返した時には、もう帰っていましたね」
対局から約1カ月後、テレビで放送されると、一般紙やスポーツ紙で取り上げられ、当事者たちの想像以上の騒ぎになったという。
「今後2~3年は『二歩の橋本』として注目される。でも、これで精神的に強くなって、棋士としてプラスに変えてくれると思います」(神吉氏)
橋本八段はこれまで、名人挑戦権を争うトッププロ10人が参加する「A級順位戦」に在籍したこともある実力者。また、突然、金髪のパンチパーマの髪形にしたり、他の棋士の口調をまねてインタビューに応じるなど、パフォーマーとしても知られる。
橋本八段に話を聞くべく都内でみずから経営する将棋バーを訪れた。
そしてその日、たまたま店内にいた本人に「二歩」の一件について直撃すると、
「取材が殺到しているので、事務所を通してください」
と言ったあと、ぽそりとこうつぶやいた。
「こんなことで有名になっても、しかたないんですけどね‥‥」
戸惑ってはいるものの、すでに気持ちは切り替えている様子であった。
珍しい反則負けとはいえ、二歩が起きた背景には持ち時間が影響していたようだ。「名人戦」は各9時間与えられるのに対して、「NHK杯」は各10分という早指し戦。秒読みが始まるとあっという間で、せかされる側のプレッシャーは半端ではないと、行方八段は説明する。
「私なんて前回大会の時には、終盤で焦って『馬』をただでプレゼントするような大ポカの判断ミスをして負けてしまった。将棋ファンの間では今でも話題になるほどで、ある意味、二歩の反則よりひどかった」
今回の対局では、あっけない幕切れを迎えたが、実は「橋本対行方」には、伏線があった。「NHK杯」の10日ほど前、竜王戦の「1組ランキング戦」で対戦していたのだ。
「死闘と呼ぶほど緊迫した対局でした。しかし、終盤の秒読みの中で大事な詰みを逃して逆転負けしてしまった。腸がねじれるほど苦しく、『NHK杯』でリベンジだと思っていたので、これであおいこ。決着はこれからです」(行方八段)
次こそは、「Oh~」と手で頭を抱えるのではなく、「王手」を聞きたいものだ。