1956年10月7日号から約59年間、日本漫画史上最長の連載記録を更新し続けていた「週刊アサヒ芸能」人気連載「仙人部落」の作者・小島功氏が4月14日に死去。「れんさい2861回」をもって、87年の人生の幕を閉じた。オンナと酒を愛し、漫画を描き続けた小島氏の人生を振り返る。
「スピードやリズム感を出すことを考えて、魔法が使える仙人の漫画にしたんです。そして女性は美しくなければいけない。作品でも理想の女性像をいくつも重ねて、自分なりの理想の形が生まれるんです。アイデアは1分でできる時もあれば、半日かかる時もある」
週刊アサヒ芸能誕生と同時に始まった「仙人部落」の連載2500回を達成した07年3月、小島氏は半世紀前を思い浮かべるようにそう振り返った──。
戦時中、「死ぬなら好きなことをやりたい」と16歳で漫画家を志し、戦後の混乱から立ち直りを見せ始めた1947年、小島氏を中心とした「独立漫画派」を結成し、プロデビュー。それから9年後の56年に週刊アサヒ芸能の連載がスタートする。
ストーリー漫画が全盛の時代の中で4コマ漫画にこだわり、開始当初は「エロ漫画」と批判されることもあったが、その妖艶流麗な曲線で描かれる豊満な女性は「現代の美人絵」と評され、「仙人部落」は瞬く間に週刊アサヒ芸能の“顔”となった。
77年から12年間、小島氏を担当した元週刊アサヒ芸能編集者の長谷川隆義氏が話す。
「僕が担当している間、原稿が遅れたことは一度もありませんでした。いつも先生は楽しんでおられた」
小島氏といえば、知る人ぞ知る酒豪であり、毎年、世田谷の自宅で開かれる新年会には、100人超の客であふれ返っていた。
「客の傍らには一升瓶が1人1本ずつ置かれるんですよ。先生は『最低でもこれを飲んで帰れ』って言うわけです(笑)。僕も嫌いな口ではなかったけど、吐きそうになりながら明け方まで飲んでいたことを思い出します」(長谷川氏)