また、4月になると下田(静岡県)の別荘で「花見会」が行われるのも恒例行事の一つだった。90年代後半に週刊アサヒ芸能で担当していた田口昇編集者が当時を振り返る。
「1000坪ぐらいある広い別荘に、漫画家、作家、芸能人、企業人など、それこそ数百人が集まっての大宴会なんです。下田の芸妓さんを呼んで、お酒や料理が盛大にふるまわれるんですが、先生は、僕みたいな新米にも分け隔てなく挨拶して回られていましたね。その別荘の近くにゴルフ場があって、『花見会』の翌日は早朝からゴルフコンペも行われていました」
漫画家としての活動以外にも、65年から週1回「11PM」(日本テレビ系)にレギュラー出演していた。大橋巨泉や朝丘雪路らを相手にした巧妙な掛け合いは18年間続き、銀座の高級クラブで飲んでいるところへ、テレビ局の迎えが来ることが毎回だった。
「連載1000回のパーティは懇意にしていた作家の吉行淳之介氏、『11PM』メンバーの大橋巨泉さんや藤本義一さんが駆けつけてくれましてね、大いに盛り上がったことを覚えています」(長谷川氏)
温厚な人柄で「みんなとワイワイ騒ぐのが好きなんです」という小島氏は、自身のことだけでなく「漫画家の地位向上や育成に情熱と意欲があった」と、漫画評論家の呉智英氏が言う。
「1960年代、漫画集団『独立漫画派』を作った。これは漫画家の親睦団体でお互い啓発し合う団体です。その一方で職能集団を作らないといけないというので『日本漫画家協会』を作って名誉会長に収まった。非常に行動力のある方でした」
59年「日本漫画家協会」の理事に就任後、92年に理事長、05年から名誉会長を務めていた。また、90年に紫綬褒章、00年に勲四等旭日小綬章を受章されている。
漫画界に多大なる功績を残した小島功先生、2861回に及ぶ長期連載、本当にお疲れ様でした。合掌。