野球マンガというジャンルを確立した水島新司氏が1月10日に逝去した。ドカベン率いる無敗の明訓高校や、酔っ払いの代打あぶさんなど、数々のヒット作には実名で、活躍中のプロ野球選手が登場。荒唐無稽なストーリーにもかかわらず、リアリティある設定に誰もが胸を踊らせたことだろう。その裏には、スーパースターたちとの厚い交遊があった──。
〈学生時代から読んでいた漫画ドカベンに自分が初めて出た時の喜びは今でも忘れません‥‥。〉(松坂大輔氏・本人ツイッターより)
〈水島さんは南海・ダイエーとホークスが弱い時に支えていただいたホークスの恩人です。ホークスとは縁の深い人でしたので大変残念です〉(ソフトバンク・王貞治球団会長)
代表作「ドカベン」(秋田書店)シリーズは足かけ46年で205巻、4800万部超の大ヒットを記録。まさに野球マンガの金字塔を打ち立てた水島新司氏が、1月10日に82歳で永眠した。その影響力たるや、アマチュアの少年野球チームで活躍する子供たちから、メジャーで奮闘するサムライ選手たちにまで、世代を越えて愛された漫画家だった。
「現役当時、とにかくマンガに出してほしいから、ほとんどの選手がなんとか水島先生の目に留まろうとして、必死にプレーしていましたね」
こう語るのは、水島氏がファンを自認した南海ホークスでプロキャリアをスタートさせ、日本ハム、阪神と渡り歩いて通算232本塁打を記録した柏原純一氏だ。代表作の「あぶさん」(小学館)の主人公・景浦安武のモデルの1人とも言われる元スラッガーが続ける。
「私があぶさんのモデルかどうかはわかりませんが(笑)、当時の南海、パ・リーグはとにかく人気がなく、注目もされていませんでした。それでも水島先生はずっと応援し、取り上げてくれた。近年のパ・リーグ人気は、間違いなく水島先生が作り上げたものだと思います」
まだ「人気のセ、実力のパ」という言葉すらもなかった昭和30年代。貸本マンガが主流の時代にデビューした水島氏は、所属する出版社が大阪にあったことから、南海の本拠地である大阪球場にたびたび足を運んだ。球場近くに居を構えると、地元ですら阪神に人気を奪われている弱小チームをこよなく愛した。
「本当にしょっちゅう来ていましたよ。ユニフォームを着て、練習の合間に選手とキャッチボールしていたり、打撃投手や裏方の人にもよく取材してました。覚えているのは77年、兼任監督だった野村克也さんと江夏豊さん、私と水島先生の4人で食事に行ったこと。『来年こそ優勝したい、ホークスを強くしたい』と語り合ったその翌日、野村さんが電撃解任されたんです」(柏原氏)
チームの顔であるノムさんをクビにして以降、チームは空中分解。柏原氏をはじめ、主力を担った江夏などが次々と去っていき、ホークスはダイエー売却後も含めて20年連続Bクラスの暗黒期に突入する。出版関係者が語る。
「代表作『あぶさん』は大酒飲みのスラッガーというキャラを思いついた水島氏が、野村さんに『代打なら使えるかもしれん』と言われたことで構想が固まりました。また、『野球狂の詩』(講談社)の女性初のプロ野球選手・水原勇気も、誰もが頭ごなしに無理だと決めつける中、野村氏だけが『1つボールがいるな、落ちる球がいい。それがあればワンポイント、1イニングで使える』と答えた。それで決め球『ドリームボール』が誕生したそうです」
漫画の世界でも節目節目で「野村采配」が功を奏していたのである。