ロック界のカリスマ、尾崎豊(享年26)が不可解な死を遂げてから20年が経過した。昨年、月刊誌に公表された「遺書」は大きな反響を呼んだ。しかし、その真贋を巡っては、遺族は否定的なのだという。
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昨年の「文藝春秋」12月号に〈尾崎豊の「遺書」〉と題された記事が掲載された。
スポーツ紙も追随し、大きな話題となったことは記憶に新しい。その記事で明かされたのは、2通の尾崎の手による遺書全文。うち1通には、尾崎の血判が押され「血染めの遺書」と紹介されている。
遺書は、尾崎が作った歌詞さながらの詩的な文章でつづられている。死の定義についても〈生とは死を知り、生を葬ることである〉と書かれ、〈さよなら 私は夢見ます〉と締めくくられる。
また、一粒種の長男には
〈君は間違いなく天使なのですよ〉と尾崎の愛情がほとばしっているのだ。
その長男が成人するまで公開しないという約束のもとに遺書を預かっていたジャーナリストがこの記事を執筆している。尾崎が92年4月25日、傷だらけで民家の庭先で死んでいたことを自殺であったと結んでいる。そして、自殺の動機を尾崎自身が死を予期していたためだと記している。死後、尾崎の胃袋に吸収されずに覚醒剤が残っていたのは、尾崎の内臓がボロボロだった証左だというのだ。
ところが、この記事に多くのファンは納得していない。尾崎の死を取材したジャーナリスト、永島雪夫氏はこう話す。
「この遺書の一部は、同じジャーナリストがかつて週刊誌上で公表したものであることは認めています。しかし、その際に遺書の発見者である尾崎の兄は、遺書の存在を否定しています。そのため、ファンは納得できないでいるのでしょう」
そして、この遺書の存在を尾崎の親友たちは知っていたという。
「尾崎は埼玉から越境して、生まれ育った都内の中学へ通っていました。それほど別れがたかった中学時代の親友の一人は、尾崎が死んだ当日に麻雀をする約束をしていたそうです。そして、私が当時、その親友を取材した時に、尾崎本人から2度の自殺未遂を告白されたことがあると話していました。1度目は88年に実家近くの公園で遺書を書き、首を吊ろうとした。2度目は90年に手首をカミソリで切ったが死ねなかったというのです。あの『血染めの遺書』は、『その2度の自殺未遂の際に書かれたものではないか』とも話していたのです」(永島氏)
今回、尾崎の遺族から遺書全文報道に関するコメントは一切、出ていない。
現在、尾崎の父は埼玉県内の自宅で、今でも訪れる尾崎ファンを迎え入れている。そして、尾崎の兄は弁護士となっている。尾崎の夫人は、尾崎が作った事務所の社長となり、長男も取締役に名を連ねている。
本誌の取材に対し、尾崎の兄の知人はこう話した。
「昨年、文藝春秋が発売された直後に、尾崎の兄に連絡をしたんです。すると、『そんな記事は読んでいないし、読む気もしない』と話していました。何かわだかまりがあるようでしたが、『もっと大きな反響があったら、きちんと読んで、対応するつもりだから‥‥』と言うから、特に話題にもしません」
没後20年、遺族は静かに過ごしたいのだろう。そして、何より尾崎自身も安らかに眠っていたいことだろう。
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