02年4月、時の自民党・山﨑拓幹事長の愛人として実名で素顔をさらし、赤裸々な告白をしたのが、山田かな子さんだった。「先生が私を“性の奴隷”のように扱っていなければ…」とつづられたレポートは、逆に有権者の反感を買う結果となった。あれから10年余り。山田さんが当時を振り返る。
「二人が可愛がった愛犬の死で吹っ切れた」
先生に芽生えた“不信感”
あの時のことを思い出すのも、今はもうこうして取材を受ける時ぐらいですね。昨年4月の県会議員選挙で、ある候補者の選挙事務所が最寄り駅のそばにあり、そこで黒塗りの車から降りていらっしゃった先生をお見かけしましたが、最後まで目をそらすことはありませんでした。それどころか、関係者が深々と挨拶する光景に、議員バッジはなくなっても実力者でいらっしゃるんだなという思いと同時に、懐かしささえ覚えました。内心「走っていって謝ろうかな」とも思いました。ご高齢の先生が次回の選挙にも出馬されるなんて噂を聞くと、頑張ってほしいなと思うくらい。
私もオメデタイというか、おバカさんですよね。でも、私も残された人生を頑張ろうという勇気をもらいました(笑)。
02年5月、山田かな子さんは山﨑拓元自民党幹事長(75)と10年近く愛人関係にあったことを週刊文春で匿名告白。その後実名でも告白した。そこには山拓の愛称を「エロ拓」と変えてしまうほどの赤裸々な手記と一緒に「変態行為」懇願テープや赤裸々な写真までも掲載されていた。
当時、私のもとには「ウソツキ」という中傷があとを絶ちませんでした。私は、ウソをついてません。それを証明するために、マスコミの方々に全てをお見せしました。日記帳を見ながら宿泊ホテルの領収書や先生の直筆メモと照らし合わせたり、(2人のセックス)録音テープや(山﨑氏の全裸)写真など‥‥。元ホステスだった愛人が、総理候補と呼ばれた先生との関係を明かすうえで、この方法しかなかったんですよね。すると(週刊文春の)当時の編集長が、「あなたはウソを言っていない」とおっしゃってくれたことが印象的でした。
しかし、「未来の総理」とも言われていた山﨑氏側は事実無根を主張。名誉毀損でレポートを掲載した週刊文春を訴えた。山田氏を「かつて原告(山﨑氏)と愛人関係にあったと吹聴していた」と、まるでストーカー呼ばわり。その往生際の悪さに山田さんは実名と素顔の公開を決意し、翌年4月、告白本「せんせい」(飛鳥新社)を出版する。
父親を早くに亡くした私にとって先生は、それこそ父親のようであり、尊敬できる方でした。ですから、好かれたくて、喜んでもらえるようにと(ベッドでも)一生懸命でした。今考えればアホですよね(笑)。そんなおバカな私でも、2度の中絶をして、「女というものは、堕ろせば堕ろすほどセックスがよくなる」なんて言われて不信感を募らせました。極め付きは、大人のオモチャを握りながら、自分のものと並べてポラロイド写真を撮らせ、それを母に見せろと命令されたことです。もちろん、拒否しましたよ。先生はどうして私の(好きだという)気持ちをわかってくれないんだろうと、涙がこぼれました。この2つの出来事があんなふうに私を爆発させてしまったんでしょうね。
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