打線についても独自の感性がある。投手目線で、「内川の4番がいちばん嫌だ」と、本来はつなぎ役の内川を据え、抜擢した脇役の選手が次々とヒーローになるなど、ドラマ作りがうまい。
「二軍から昇格させた選手は即起用する」との方針で、時間があれば積極的に(二軍の)雁の巣球場へ足を運び、試合観戦もしている。
「開幕以来、無休です。試合のない移動日に、練習参加が投手数人という時も顔を出す」(スポーツ紙デスク)
その工藤イズムの裏にあるのが、西武入団時の監督で、82年から4年間でリーグ優勝3回、日本一2回という西武の黄金期をスタートさせた広岡達朗氏(83)の「管理野球」だ。
茶髪、ガムかみ、ツバ吐きなどを禁止したのは、「広岡式管理野球」の継承。広岡氏は菜食主義を打ち出すなど食事も厳しく管理したが、実は工藤監督も、チームの食に関する改革、改善を断行している。
「工藤監督は、みずからが現役を(29年も)長くやれたのは食事を含めた体調管理にあった、という考え。食生活を直接変えたのは夫人でしたが、広岡氏の影響も強く受けています。栄養士と相談しながら遠征先のホテルの食事メニュー、二軍の寮の食事などを指定し、変えました。少しずつ多くのおかずを用意して、あらゆる栄養素を摂取できるようにしたんです」(スポーツライター)
工藤監督が今でも真夏に半袖のアンダーシャツを着ないのは、広岡氏の「投手は肩を冷やさないために、絶対に長袖を着ろ!」という教えを守っているから。また、優勝請負人として西武、ダイエー、巨人、横浜と多くの監督の下でプレーしてきたが、「勝つ野球の根本は広岡さんの野球だと思う」とも断言しているのだ。
コーチ経験がないまま監督になったせいか、審判に当たったボールの扱いに関するルールを知らなかったり、継投の際、マウンドに行った佐藤義則投手コーチ(60)が戻ってきてしまい、交代ができなくなって打たれるなどの凡ミスもあって、「無色野球」「素人監督」などと批判も受けている。
「作戦面の失敗も目立ちますが、本人も素直に『俺のミス』と認めるので、大きな問題にならない」(福岡のメディア関係者)
前出・スポーツライターも、
「西武の黄金期には監督采配ではなく、石毛、辻、秋山、伊東ら野球を知っている選手が自分たちで考えて勝ってきた。そんな野球を見てきた工藤監督は、戦力の整っているソフトバンクでは内川聖一(33)、松田宣浩(32)らのベテランに任せておけばいいと考えているんですよ。だからヘッドコーチを置かなかった。就任1年目の指導者はいいところを見せたいと張り切りすぎて“自爆”する人が多いですが、力みがない。ベンチで無邪気に一喜一憂してはしゃいでいますから」
広岡式工藤野球の勢いは、クライマックスシリーズから日本シリーズへと続きそうな気配である。