●ゲスト:加山雄三(かやま・ゆうぞう) 1937年、神奈川県生まれ。60年東宝に入社、映画「男と男」で俳優デビューし、翌61年から始まった「若大将」シリーズで人気を博す。この頃から歌手としての活動も開始、「弾厚作」のペンネームで作詞・作曲も手がけ、代表作「君といつまでも」は350万枚の大ヒットを記録した。2014年、旭日小綬章を受章。同年、ロックバンド「THE King ALL STARS」を結成。15年、最後の全国コンサートツアー「若大将 EXPO~夢に向かって いま~」を開催。16年4月7日・8日には、世代・ジャンルを超えたアーティストたちと共演する音楽イベント「加山雄三55周年企画ゴー! ゴー! 若大将FESTIVAL」を開催。
ついに芸歴55年を迎えた「若大将」こと加山雄三。華々しいキャリアを重ねながらも、今なお若々しいイメージはそのままで、歌に、夢にと新たなチャレンジに邁進しており、そのバイタリティにはただただ驚くばかり。昔から加山に憧れてきた天才テリー、今回は少し緊張気味!?
テリー 実は僕にとって、加山さんは特別な存在なんですよ。
加山 あ、そうなの?
テリー 若い頃は部屋に加山さんのポスターを貼ってましたし、加山さんが「アルプスの若大将」で着ていたセーターを探すために、神田のスポーツショップをいったい何軒回ったか。
加山 信じられないなぁ。
テリー そんな加山さんも芸能生活に入ってもう55年なんですね。振り返ってみてどうですか?
加山 ビックリだよね。本当は、船を作る仕事に就くのが夢だったんだから。ところが慶応大学に入ってしまったのが、そもそも間違いのもとでさ。
テリー いやいや、間違いじゃないですよ(笑)。
加山 普通に就職しようと思ってたんだけど、その時、僕の友達が「お前が大学でやったことは、スポーツと歌しかねえだろう。それを生かして金儲けして、船を作ればいいじゃないか」と言ったんですよ。
テリー すごいな~、でも、それは正しい発想ですよね(笑)。
加山 僕も「それはアリだな」と思っちゃった。
テリー 加山さんが、まず東宝の所属になったのは、お父さん(上原謙)の絡みだったんですか?
加山 そうじゃなくて、各映画会社の株価を見たんですよ。そしたら、東宝がいちばん高かった(笑)。
テリー ハハハ、すごい大学生だなあ。
加山 それで親父に「僕は芸能界に入ろうと思ってる」って言ったら、「とにかくお父さんは反対だ」と。その後何度もやり合って、やっとOKが出たんです。だから、親父の名前を頼るとか、そういうことは一切していない。あっちは天下の二枚目だけど、自分は出来損ない。だから、「男は顔じゃねえ、心や体力で勝負だ!」って、最初の頃からずっと思ってました。
テリー またまた、加山さん、十分に男前じゃないですか(笑)。中高、大学時代は、若大将みたいにモテたんでしょう?
加山 何言ってるんですか、あれは映画。現実は全然ですよ。
テリー だって慶応ボーイで、お父さんは上原謙。超サラブレッドで、ルックスはいいし、スポーツもできる。さらに歌も作れて歌えるんだから、恐らく日本中の男が、加山さんを嫉妬してましたよ。
加山 でもね、本当にモテなかったんですよ。僕の性格もあったんだろうね、学生の頃は、昔の言い方だけど「硬派」になろうと思っていましたから。
テリー そりゃまたどうして?
加山 高校入学に向けて勉強するために、東大生の家庭教師がついたんですよ。その人が「こいつ(加山さん)は大変だよ、高校になったら女にモテちゃってしょうがないだろう」ってひそひそ話をしてるのを小耳に挟んで、カチンときてね、「よし、俺は頭を丸坊主にして、女を避けてやる」と決めて、本当に女性を避けて歩いてた。
テリー じゃあ、高校時代は坊主だったんですか。
加山 うん、3年間ずっと坊主で通してた。一時期、本気で坊主になろうと思って、大雄山最乗寺へ行って座禅組んだりしてたんですよ。でも、親父の人気が落ちていくところや、家庭の中でおふくろが努力してるところを見ているうちに、「やっぱり現実の厳しさを知ることが本当の修行じゃないかな」とその頃考えるようになったんですけど。
テリー いや、やっぱり加山さんはすごいな。