極め付きは暴力団編だ。自業自得とはいえ、不運にも八百長行為の片棒を担がされてしまったのは、地味な存在ながら時たま思い切った騎乗でファンを驚かす中堅騎手のP。そして仰天の舞台裏を明かしてくれたのは、Pと深い親交のある個人馬主の一人だ。
「競馬法上、暴力団関係者が馬主になれないことは知っているよな。で、一昔以上前の話になるんだが、Pは暴力団関係者にいわゆる『名義貸し』をしている馬主の所有馬によく騎乗していた。それで、大きなレースに勝ったりすると、かなりの額の小遣いをもらったり、高級外車を買ってもらったりしていたんだ。もちろん、そのカネは暴力団関係者から出ていた」
なぜそんな大盤ぶるまいをしていたのか。実はその暴力団関係者は、傘下の組織を使って手広くノミ屋を経営していたという。
馬主の名義貸しと同様、私設馬券を売るノミ行為も競馬法でご法度とされているが、「1日全ハズレの客には購入総額の1割分をバック」などの独特のサービスを掲げて、ネット投票システムの普及を横目にしぶとく生き残ってきた。個人馬主が続ける。
「そんなある日、名義貸しをしている馬主を通じて、Pのところに耳を疑う指令が下ったんだよ。Pは次週の特別レースでその馬主が所有する大本命馬に騎乗する予定だったんだが、Pは馬主から電話で『今度の特別レースだけどな、渡世上の義理もあるので、うまいこと引っ張ってくれ』と命じられたんだ」
ノミ屋は客の馬券を「呑む」ことで収益を上げる。したがって、多くの客が買いを入れる本命馬が馬券から消えれば、1レースだけでも莫大な利益が転がり込むことになる。つまり、一本かぶりの人気馬に騎乗するPに対して、馬主は「そのために負けてくれ」と、八百長を指示したのである。
「小遣いや外車の件もあって、Pはこの命令に逆らえなかった。ただ、この話には続きがあって、数日後、今度はPから馬主のところに電話が入ったんだ。Pが『でも、どのように引っ張ったらいいでしょう』と聞くので、馬主は『わざと出遅れて後方を追走。直線は馬をインに入れて、前が塞がったままゴール。こんな感じでいいんじゃないか』と助言したそうだよ」
こう明かす個人馬主によれば、果たせるかな、レースは馬主のアドバイスどおりの展開で進み、Pの馬はゴール前で鋭い脚を使いながらも、みごとに馬券から消え去ったというのだ。
これとは逆に、かつての競馬記者の中には、「ノミ屋殺し」で一儲けをたくらむ強者もいたという。
「当時、ノミ屋の多くは、レースがスタートしてもしばらくは馬券の購入を受け付けていたんです。ノミ屋ならではの、このサービスを逆手に取るんですよ」
こう語るのは、競馬専門紙の記者として活躍した競馬サークル関係者だ。
当時は全場の実況映像を流すグリーンチャンネルもない時代で、夏のローカル開催などはノミ屋の盲点になっていた。例えば札幌や函館の第1レースなどは、馬群が4コーナーにさしかかっても、馬券が買えたというのだ。
「ただ、それにはちょっとした、だましのテクニックが必要でね。記者たちはまず、函館なら函館の記者席にある黒電話でノミ屋に電話を入れ、ダブル開催されている主場の第1レースの買いをゆっくりと入れる。そうこうしているうちに、函館の第1レースがスタート。馬群が直線に入ったところで、『函館の第1レース、まだ買えるよね』とノミ屋に水を向けるんです」(前出・競馬サークル関係者)
多くの場合、ノミ屋は主場のラジオ実況しか気にしていない。そこで、うかつにも函館1レースの買いを受けてしまうのだ。
しかも函館は直線が平坦で短く、4コーナーで先団にいる馬が、ほぼそのままゴールインすることが多い。記者席から態勢を見極めた記者たちは購入金額を急に増やしたうえで、的中確実の目に買いを入れていたのだ。
「発走時間のタイムラグを利用したトリックで、怖いくらい当たったね。ただこの手口は、1つのノミ屋で1回だけしか使えない。だから、みんなノミ屋を次々に変えていた」(別の競馬サークル関係者)
裏では騎手顔負けの駆け引きが展開されていたのである。