一般の競馬ファンにとっては、より切実な仰天話もゴロゴロしている。
例えば、冒頭でも触れた「かまし」。元厩舎関係者によれば、かつてはジョッキーが勝負服の中に興奮剤などの入った注射器を忍ばせ、スタートの5分ほど前、それを馬の首に打ってグリグリと揉むようにすり込むこともあったという。すると、ブッチギリで走るのだ、と。
「パドックに馬を出す前など、あまり早く打ってしまうとレースまでに薬が代謝されてしまう。逆にレースまでもつよう事前にたくさんの量を打つと、馬が興奮しすぎたり、レース後の検査で引っ掛かってしまったりするからね」
監視の目が厳しくなった今はさすがに影を潜めているが、水鉄砲のような容器にニンニクや朝鮮人参などを入れ、嫌がる馬の口をこじあけて胃袋にストンと落とし込む、合法的とされている「かまし」は、現在でも一部の厩舎で行われているというから驚く。
あるいは、ジョッキーがレースで背負う「斤量」。これは鉛の板を騎手の体に装着したり、鞍の中に入れたりして調整されているが、全ての馬が定められた斤量でゲートを出ているわけではなかったというのだ。トレセン関係者があきれ顔で言う。
「後検量は基本的に7位入線までの馬にしか行われない。だから中堅以上のジョッキーともなると、レース前に鉛の板を馬場に投げ捨て、レース後、8位以下で入線した若手の騎手に声をかけ、鉛の板を奪って装着し直す、という作戦に出る。実際、レース終了後の馬場には、鉛の板がけっこう落ちていたよ」
いや、レース後の馬場には鉛の板どころか、ジョッキーの「足の指」が落ちていることもある。
昔の内ラチには、1本のラチにもう1本のラチをはめ込んでできるつなぎ目が随所にあった。かつて一世を風靡したある大騎手は、レース中、馬が内にもたれてラチにぶつかった際、右足の小指と薬指をザックリとやってしまったのだ。その時の模様を知る元厩務員が耳打ちする。
「その大騎手がブーツもろとも右足の指を削ぎ落とされたことに気づいたのは、脱鞍所に引き揚げてきて真っ赤に染まった足元を見た時。脱鞍所は大騒ぎとなり、係員が慌てて馬場を捜索すると、馬場の片隅に足の指が落ちていた。大騎手は足の指とともに救急車に乗り込んだのですが、担ぎ込まれた病院の医師から『時間が経ちすぎてしまって、指を縫合することはできない』と宣告されたそうです」
この元厩務員によれば、その後、大騎手はこう話して周囲を笑わせていたという。
「足の指くらいと思っていたけど、重要なバランサーだったんだな。あれ以来、体がいつも右に傾いて、マトモに歩けないんだ」
美しいターフとは裏腹の、何とも因果な稼業の舞台裏。そこでは、生き馬の目を抜く虚々実々の駆け引きが日夜、展開されているのである。