昨年8月28日に放送された「ダウンタウンなう」(フジテレビ系)で、こんな仰天の一幕があった。
入れ墨の有無について聞かれた清原容疑者は、Yシャツの胸元をめくり上げると、堂々と入れ墨を披露して、こう言い放った。
「ありますね、小さい頃の憧れで」
放送では入れ墨にはボカシが加えられていたが、胸元から左腕には龍の入れ墨が彫られていたという。
現役時代から清原を知る球界関係者が明かす。
「さすがに現役時代に入れ墨はなかった。墨を入れてからも、最初はサポーターで隠すなどしていたんですが、子供が出場する少年野球の応援をする際、七分丈のジャージ姿で現れ、足首からふくらはぎにかけて踊る龍の彫り物がチラ見えするようになったんです。さらに、ドスの利いた声で相手チームの親御さんを刺激するような激しいヤジを飛ばし、警察ざたになったことまでありました」
まるでヤクザそのもの‥‥。それもそのはず、「小さい頃の憧れ」とまで口にしていた、清原容疑者のヤクザ交遊は根が深かったのだ。関西を根城とする暴力団関係者が、その起源について明かす。
「岸和田生まれの清原が、ちっちゃい頃から憧れてたのは、郷土愛が強くて同郷の人間に対する仲間意識がハンパなく強い“先輩”だった。地元のヤクザだよ。一回りは上だったが、清原が野球で頭角を現した中学時代、名門PL学園に入っても関係は続いて、プロに入っても清原はかわいがってもらってたな」
コンプライアンスの遵守がより重大視される近年とは違ったにせよ、同郷の義理・人情といった感覚が優先されたのだろう。清原容疑者はプロ野球入り後も、こうした反社会的人脈とのズブズブの関係を継続させていったという。
「現役も晩年の頃だったかな。清原はこの先輩を頼って高級車を売りに動いていた。金に困ってか税金対策だったかは知らねえけど、高級車を何台かさばいてもらって現金にしてたな。もっとも、この先輩がクスリに手を出すなんてことはなかったけど、人脈の枝葉をたどっていくと『ドラッグストア』と呼ばれるほどクスリを扱う連中がうようよいたよな」(前出・暴力団関係者)
幼少期からヤクザに憧れていた清原容疑者だっただけに、着々とそうした人脈を広げていたのか。
「特に清原の太いタニマチと言われていたのが、暴力団と密接な関係を持つ名古屋の風俗店グループのオーナーです。その一方で清原は、通っている歯科医が同じという縁で、同じく名古屋をシマとする別組織の人物とも懇意になっているんです。ある時、清原が交際していた銀座のホステスが有力組織の最高幹部にシャンパンをこぼす失態を犯してしまった。焦った清原は、そのさらに上部団体の会長に頼み込んで当の最高幹部の怒りを収めてもらったこともありました。六本木のサウナでトラブルになった際にはなんと、『俺のケツ持ちを誰だと思ってるんや』と有名ヤクザ組織のトップの名前を出して脅したことまで‥‥」(事情を知るアウトロー関係者)
清原容疑者のヤクザ交遊がいかに幅広かったか手に取るようにわかるだろう。
闇社会との関係性が深みにはまっていくのと並行して、“禁断の果実”に手を出してしまったようだ。
先の球界関係者が声を潜めて語る。
「清原が巨人にいた98~01年当時、のちに覚醒剤取締法違反で逮捕された投手も在籍していて、実はウマが合ったんです。清原は彼から疲労を回復させ集中力を高めると、アンフェタミン系興奮剤・グリーニーを勧められた。グレーゾーンだと思われていますが、いわば覚醒剤ですよ。ベンチ裏でニヤニヤ、ヘラヘラ、タンクに用意された大量の水を飲むようになるなど、清原の奇行が目立つようになったのは、バッシングの嵐にさらされた堀内政権最終年の05年ですね」
体が“キメた”感覚を覚えていく。一説にはその投手と覚醒剤供給ルートが一緒だったとの話も浮上していたが、いずれにせよ清原容疑者には快楽ルートを確保するための人脈が築き上げられていたのだ。
あれから10年、3650日以上が経過しようとも暴走は止まらなかった。