●ゲスト:山口いづみ(やまぐち・いづみ) 1954年、東京都生まれ。72年、「緑の季節」で歌手デビュー。その後、「雑居時代」(日本テレビ系)、「大江戸捜査網」(テレビ東京系)、「江戸を斬る」「水戸黄門」(ともにTBS系)など多数の人気ドラマ、映画、CMなどに出演。09年、ライブで歌ったクロアチアの歌「ツェトリ・スタジューナ」がYou Tubeを通じて評判となり、クロアチアで最も有名な日本人歌手に。昨年12月、ブルーレイ「エマニエル夫人 ユニバーサル思い出の復刻版」を発売。77年に「日曜洋画劇場」(テレビ朝日系)で日本語吹き替えを担当した時の音声が収録されている。4月15日、ラドンナ原宿で「山口いづみ スペシャルLIVE」を開催。
アイドル歌手として本格的なキャリアをスタート、その後「雑居時代」「水戸黄門」などの出演で人気を博した女優・山口いづみ。最近では久々に歌手活動を再開、その歌声が海外で大きな話題を呼んでいるという。憧れのアイドルのあせない魅力に、天才テリーの胸も高まる!
テリー 僕は、アイドル時代から山口さんが大好きで。当時の他のアイドルと比べて、セクシーというか、色気がありましたよね。
山口 よくそういうふうに言われたんですけど、自分自身は普通の17歳だったんですよ。何の意識もしていませんでしたけど。
テリー 今もそうですけど、山口さんと会う時はいつも心がときめきます。
山口 本当ですか? ありがとうございます(笑)。
テリー 山口さん、高校は東京女学館ですよね。当時は超お嬢様学校で、僕らにとっては高嶺の花でね。制服なんて東京でいちばんかわいかったと思うな。
山口 はい、でも私は途中でやめちゃいましたけどね(笑)。校則がとても厳しくて、芸能界でのお仕事なんてとんでもなかったんですよ。
テリー 昔から、芸能界には憧れていたんですか?
山口 私は小さい頃から、お姫様役をやりたかったんです。
テリー いいですね、わかりやすい(笑)。
山口 ええ。小さい頃、松山容子さん主演の「琴姫七変化」というドラマを観ていて、お姫様の格好がしたくて、遊ぶ時も浴衣を着たりしていたんですね。だから他の子はセーターなのに私だけ浴衣で、野原で遊んでる写真とかあるんです。
テリー アハハハハ、それは相当変な子ですね。
山口 フフフ、で、そんな私を見かねて母が児童劇団に入れてくれたんです。でも、当時の子役って今みたいに認知されてないし、仕事も夜遅くまであるしで、すぐ辞めさせられちゃったんです。
テリー ありゃりゃ、お姫様の夢が。
山口 でも、どうしてもあきらめきれなくて、遠縁のテレビの制作会社で働いている人のツテを頼りに、学校に内緒でコソッとお仕事を始めるようになって。
テリー もしかして、もう女学館に通っていた?
山口 そうなんですよ、だから当時、すごくマズい状況で(笑)。そのうちに「大奥の女たち」というドラマの皇女和宮役をもらえることになりまして。それをきっかけに、学校も辞めることにしたんです。
テリー 歌手デビューをしたのも、その頃ですよね。
山口 そのドラマの収録が終わる頃に、ザ・タイガースとかハイ・ファイ・セットとかに曲を書いてらした作曲家の村井邦彦さんの事務所に遊びに行くことになったんですね。実は村井さん、当時の私の友人の彼(カメラマン)が、村井さんと慶応大学で同級生だったんです。
テリー へぇ!
山口 私、もうザ・タイガースとか大好きで連れて行ってもらったんですけど、そしたら村井さんに「歌手にはならないの?」って言われて。
テリー 初対面でスカウトされちゃったんだ!
山口 ええ、それまで考えたこともなかったんですけど、「やってみたいな」って言ったら、すぐに渡辺音楽出版の方に連絡してくださって、その日から渡辺プロダクションに入ることになったんです。
テリー デビューシングルは「緑の季節」。いい曲でした。僕、今でも歌えますよ(笑)。
山口 でも私、デビューしてから4枚しかシングルを出してないんですね。歌の現場がしっくりこなくて、事務所に「やっぱり女優のお仕事をしたい」って、お願いして。