田中角栄が大事にした「人」と「金」──その両方に大きく関わった女性がいた。それが、秘書として田中を影からサポート、さらには政治資金の采配までも担った「越山会の女王」こと佐藤昭である。田中と佐藤の強い絆は、昭和日本の政界を大きく塗り替えていくことに!
1972年(昭和47年)、田中角栄の秘書である早坂茂三と麓(ふもと)邦明の2人が、自民党総裁選を前に田中にたのみこんだ。麓は、田中が総裁選を戦うために著した政権構想「日本列島改造論」を作り上げるのに協力した貴重なブレーンの1人であった。
「オヤジ、小佐野さんと佐藤昭さんを、この際切ってください」
国際興業グループ創業者の小佐野賢治は「政商」のレッテルを貼られている。小佐野との緊密なつながりをここで続けていくことは、田中にとってマイナスとなる。また田中の金庫番である佐藤昭(当時、後に昭子に改名)は、田中との男女の仲を取りざたされかねない、と言うのだ。
総理総裁となった暁には、この2人の関係は必ずスキャンダルとして大きくマスコミに扱われてしまう、と考えてのことであったのか。
田中は涙を流し始め、2人を見て言った。
「もう俺にはついてこられない、ということだな。お前たちの言うことはよくわかる。しかしな、この俺が長年の友人であり自分を助けてくれた人間を、これからの自分に都合が悪いというだけの理由で切ることができると思うか。自分に非情さがないのはわかっている。だが、それは俺の問題だ。小佐野や佐藤と、俺の問題だ。自分で責任を持つ。責めは自分で負う」
早坂は田中の生き様を呑みこんで事務所に残ったが、麓は田中のもとを去った。
田中は情を重んじる男だったが、小佐野賢治と佐藤昭は、それほどまでに切っても切れぬ関係だったのである。
46年(昭和21年)2月23日──佐藤昭は運命的な出会いをすることになる。叔母から、今度の総選挙に立候補する人が来ると、あらかじめ聞かされていたのである。その候補者は、年齢が27歳だという。政治家としては若い。
〈どんな人かしら〉
昭は、密かに興味を抱いた。
立候補するというその男は、茶色のカシミヤのコートに、茶色のマフラーを首に巻いて、長靴を履いていた。さすがに立候補を決意するだけはある。27という歳にはおよそ似合わない、威風堂々とした貫禄を持ち合わせていた。その顔には、チョビ髭が、まるでとってつけたように、チョコンと乗っている。
昭は田中をひと目見ると、正直なところびっくりした。
〈本当にこの人、27歳なの? 歳をごまかしているんじゃないかしら〉
田中は、髪が黒々とさえしていなければ、50と言っても通ってしまう。
田中は田中で、初対面の昭のことを印象深く胸に刻みこんでいた。後に、田中は昭に話した。
「俺はお前に一目惚れしてしまったんだよ。だけど、その時にはお前には婚約者がいたしなァ‥‥そのまま引っさらおうかと思ったことすらあった。しかし何より、お前は堅気の娘だったから」
作家:大下英治