働き口はおろか、年金の受給資格も身寄りもない──。こうした高齢の生活保護受給者は今年4月に約75万人と過去最多を記録した。みずから「ナマポの予備軍」と称する住所不定の独身ライターが、“受給者”であふれる「生活保護天国」を徹底ルポ。大阪・西成、横浜・寿町、そして山谷で生の声を拾った。
雑誌業界の片隅で碌を食んで25年になるが、みずからの不徳と出版不況のあおりを受け、ここ5年ほどはジリ貧状態が続いている。数年前に家賃滞納でアパートを退去してからはサウナやマン喫、知人宅を渡り歩いてきた「住所不定」の身だ。不摂生がたたり、齢49にして体もボロボロだ。
「このままいったら野たれ死ぬだろうな」
漠然とこんな不安に襲われながら過ごす中で知り合ったのが、生活保護受給者のタカさん(65)=仮名=だった。
「けっこう楽しくやってるよ。毎日、日が昇ると同時に目覚めて散歩。朝飯は行きつけの雑貨屋でバナナを1本バラ売りしてもらう。10円だよ。で、朝から開いてる酒屋でワンカップを買って、ガソリン補給さ」
タカさんはトビ職人として日本の高度成長を支えた。だが、約10年前に腰を壊して以降は無職生活まっしぐら。年金もろくに払っていなかったため、生活保護に頼らざるをえなくなった。現在は月額約12万円の生活保護を受け取っている。
「仕事? そりゃ、やれるもんならやりたいけど、働くと怒られちゃうんだよ、役所に。生活保護もらっておきながら働くとは何事かって。俺たちは病院も無料だからさ、睡眠薬や精神安定剤なんかはもらい放題。夜は酒と一緒にこれを飲んで、8時にはスコーンと寝ちゃう。寝ないよりはクスリ飲んでしっかり睡眠とったほうがよっぽど健康にいいと思うけどな。俺なんか65歳だけど、まだ、アッチのほうはビンビンだよ(笑)」(前出・タカさん)
厚生労働省によると、今年4月時点で生活保護を受給しているのは約162万世帯。そのうち半数近くはタカさんのような身寄りのない高齢者世帯だ。しかし世間の目は冷たい。一部の若者は、さげすみの意を込めて、彼らを「ナマポ」と呼び、まるで犯罪者のように敵視することもある。
「俺たちナマポって呼ばれてんの? ああ、なるほどね(笑)。いろいろ批判はあるんだろうけど、楽しく生きられればいいじゃない? あんた、俺たちと同じ匂いがするけど、生活保護もらっちゃいなよ。手続きなんかは俺が指南してやるよ。ドヤだって、いつでも紹介するよ。けっこう快適だから」
当事者からは、罪の意識も後ろめたさも感じられない。今回、取材した受給者たちは一様に「楽しい」「やめられない」と口にするのだった──。
今回の取材で約20年ぶりに訪れた大阪・西成のあいりん地区はすっかり様変わりしていた。
かつて街は手配師や日雇い労働者であふれ、夕方にもなると、立ち飲み屋の前には仕事帰りの労働者たちが鈴なりになって酒をあおっていたものだ。だが、今は当時の活気はなく、アーケード街は人影もまばらで、開いている店はない。そのシャッター街でポツンポツンと目にするのが「カラオケ居酒屋」の看板だった。地元の不動産業者が言う。
「わかりやすく言うとガールズバー。ここ数年、雨後のタケノコのごとく増殖してますわ。中国系の不動産屋が、これまで日本人が持っていた店舗の権利を“現金”で買いあさって、在日中国人向けの新聞でホステスの募集をかけていったんですわ」
一番のお得意さんが地元の生活保護受給者だという。1軒の“中国人ガールズバー”に飛び込んでみた。10席ほどしかない店内は一見、普通の飲み屋だが、カウンターの内側には20代前半と思しき中国人女性が3名いた。夜7時になると店は満席になり、客は女の子と楽しげに話したり、カラオケを歌ったりしている。
「みんな生活保護のお客さんや。貧乏やけど、毎月決まったお金が入るから安心なんや」(前出・店主)
福建省出身だという店主の女性が流暢な関西弁で教えくれた。元工員だという初老のなじみ客はこう話しかけてきた。
「お兄さん、どっから来た? ここはええぞ。何でも1杯500円で、何時間でも楽しめる。女の子は若いし、美人ばかりや。どや、西成に住みたくなったやろ?」
60年代には求人の減少やピンハネを発端に、数々の暴動が起きた西成。血気盛んな労働者たちは、定収入がある“無職老人”に生まれ変わっていた。
根本直樹(フリーライター)