昨シーズンから福岡ソフトバンクホークスの監督として指揮を執る工藤公康。通算29年にも及ぶ現役生活で積み上げた勝ち星は224。持ち玉は主にストレートとカーブの2種類だけだったが、高校時代の工藤はまさにそのカーブ(当時、“懸河のドロップ”という時代的表現で形容された落差のある大きな芸術的カーブ)をウイニングショットに甲子園で大暴れした。81年夏の選手権である。
その甲子園デビューは鮮烈で、初戦の長崎西戦で16奪三振のノーヒットノーランという快挙を成し遂げた。また、ノーヒットノーランだけなら8年ぶりの達成者だったが、74年に金属バットが導入されてからは初の記録。まさに歴史に残る快投だった。
続く北陽(現・関大北陽=大阪)戦でも工藤の左腕は冴え渡った。試合は1-1の投手戦で延長戦に突入し、延長12回裏に2-1で劇的なサヨナラ勝ちを収めるのだが、なんと5回を除く毎回の21三振を奪ったのである。
準々決勝の対志度商(現・志度=香川)戦でも12奪三振。3-0の完封劇でベスト4進出を決める。
そして、迎えた準決勝。相手はこの大会の3回戦で“甲子園のアイドル”早稲田実(東東京)の荒木大輔(元ヤクルトなど)を打ち込んだ超強力打線が自慢の報徳学園(兵庫)。その中心にいたのが、エースで4番の金村義明(元近鉄など)だった。試合の争点は工藤の大きなカーブを報徳打線がどう攻略するかに集まったが、報徳打線の工藤対策は用意周到だった。なんと各打者が打席の一番前に立ち、工藤得意のカーブの曲がりっぱなを積極的にセンター返ししてきたのだ。さらに準々決勝からの連投でカーブの落差がなくなり、気力でも圧倒された。結局、マークしていたはずの金村には4打数3安打1打点と圧倒され、1-3で敗退。決勝進出はならなかった。
惜しくも優勝はならなかったものの、4試合で工藤が奪った三振は39イニングで56個。その際立った快投は高校野球ファンの目をクギ付けにさせた。大会前はさほど注目されていなかった左腕が一躍全国区へ。のちの記録にも記憶にも残る大投手への足がかりを掴んだ大会となった。
(高校野球評論家・上杉純也)