今シーズン右肩の故障から復活し、1786日ぶりの勝利を挙げたヤクルトの由規。故障前の10年には当時、日本プロ野球史上最速記録となる161キロをマークするなど、日本球界が誇る速球派の投手である。その剛球伝説の始まりは07年夏の選手権。2回戦でマークした夏の甲子園史上最速155キロが日本中を驚愕させた。だが、実はその1年前にすでに実力の一端を示していたのである。
06年の夏の選手権。初戦で徳島商と対戦した仙台育英は由規の好投で、5-1で快勝するが、なんと宮城県大会の決勝、東北との引き分け再試合から中5日の日程だった(しかも決勝戦&決勝戦引き分け再試合を含む24回374球を投げ抜いていた)。それでも由規は疲れをものともせず、115球の完投勝利。しかも被安打5、11奪三振の快投だった。
続く2回戦の日大山形戦では8回を投げて被安打7。自らのミスもあり6失点を喫してしまう。試合も3-6で敗れてしまったが、それでも13三振を奪ったところにその実力の片鱗が伺えた。
3年生になった07年の春の選抜で再び由規は甲子園に帰ってきた。初戦の常葉菊川(静岡)戦は14奪三振の快投。だが、4回表の満塁のピンチで浴びたレフト前2点タイムリーが致命傷となり、1-2で惜敗。実は開幕前の練習試合で左手に全治2週間の重傷を負っていたのだが、怪我を感じさせない堂々たる投球に“夏こそは”の期待が高まったのだ。
そして迎えた最後の夏。由規は甲子園に一つの伝説を打ち立てる。まず初戦の相手は強打が売りの智弁和歌山。2点をリードした6回表に智弁の2年生4番・坂口真規(現・巨人)にレフトスタンド中段へと突き刺さる同点2ランを浴びたものの、その次の打席では154キロで見逃し三振。力でねじ伏せ、見事にリベンジする。直後に打線が2点を勝ち越し。結局、由規は毎回の17奪三振の快投で、4-2で初戦を突破したのであった。
続く2回戦。智弁学園(奈良)との一戦でその瞬間が訪れる。4回裏の投球の際に春夏の甲子園通じて最速となる155キロをマークしたのだ。とはいえ、試合は9三振を奪ったものの、5回裏に四球をきっかけにリズムを崩し、智弁打線に5安打を集中され、2-5で敗退。155キロの衝撃を残して甲子園を去って行ったのだった。由規は甲子園の直後に招集された日米親善試合で当時自己最速の157キロを計測。この年のドラフト1位候補としての価値をさらに高めたのである。
(高校野球評論家・上杉純也)