14年のドラフト会議で西武から1位指名され、将来の右のエースとしての期待が寄せられる高橋光成。
13年夏の選手権では2年生ながら最速148キロのストレートと4種類の変化球を武器に前橋育英(群馬)に初の夏の甲子園出場をもたらした。その2年生右腕は甲子園初戦となった岩国商(山口)戦からとんでもない快挙をやってのける。夏の大会で歴代連続奪三振数2位となる9連続奪三振を記録したのだ。結局、13奪三振の5安打完封。1-0で初戦を突破すると、続く樟南(鹿児島)戦も1-0で2試合連続完封勝利をマークする。3回戦は強豪・横浜(神奈川)相手に自責点0の1失点完投。7-1で快勝し、初出場で堂々のベスト8進出を果たしたのだ。
この大会で最も苦しかったのが準々決勝の常総学院(茨城)戦だろう。高橋が先発を回避したことで2点を先制されると打線も沈黙し8回を終わって0-2と劣勢だった。だが、土壇場9回裏に2死二、三塁のチャンスを掴むと、ここで“打者・高橋”が同点のタイムリースリーベース。続く延長10回裏に劇的なサヨナラ勝ちを収めたのである。準決勝の日大山形戦は自責点0の1失点完投。4-1で勝利し、ついに初出場で決勝戦進出を果たしたのだった。
迎えた決勝戦。相手はこれも初優勝を狙う延岡学園(宮崎)だった。高橋は4回裏に延岡の打線につかまり4安打2四球で3点を先制されてしまう。
この失点は高橋が甲子園に来てから45イニングス目に初めて喫した自責点だった。だが、ここから踏ん張り、5回以降打たれたヒットはわずか2本。7回表のチームの逆転劇を呼び込んだのである。結局、自責点2の3失点完投。4-3で勝利し、初出場初優勝の快挙を達成したのだった。この大会、高橋が許した自責点は50回を投げ、わずかに2点という快投だった。
ところが、最上級生となった高橋は2度と甲子園のマウンドへ上ることが出来なかった。チーム力の低下もあり、春夏とも県予選で敗退。最高の輝きを放ったあの大会が高橋にとっての唯一の甲子園出場となったのである。