「今やれば余裕で勝ちます」
初回、渡久地は何度か自分の距離に入りながらも強引に打って出なかった。確かに、どこかよそ行きのボクシングに見えたものだった。
ガンガン打ち合ったら勝てたかどうかはわからないけれど、後悔はなかったと思うんですよ。そういった意味では悔いは残っていますね。あれは僕のボクシングじゃなかったから。思い切り最初から打ち合っていけばよかった。
ラウンドを重ねるごとにチャンピオンの優勢は明白になっていったが、ユーリ自身も4回に右拳を骨折するアクシデントに見舞われていた。それでも冷静に左ジャブを突いて負傷を相手に気づかせなかったのだから、やはりただ者ではない。
もともとユーリのテクニックは特別というほどじゃないと思っていたけれど、戦ってみてもその印象は変わりませんでした。ただ、スピードはありましたね。全体的には、そう強いとは思いませんでした。意外性もなかったから、だいたい想定の範囲内でした。敗因は僕が警戒しすぎたことでしょう。
7回、渡久地は攻勢をかけたが、その直後に左ボディブローを浴び、さらに左フックを顎に痛打されて、体を支えきれずにキャンバスにグローブをついてしまった。この回、さらに連打を浴びて2度目のダウンを喫する。
9回、反撃に出た渡久地だったが、冷静に迎撃されて連打を浴び、立ったままレフェリー・ストップを言い渡された。9回1分4秒、渡久地は壮絶に散った。試合直後の渡久地は「ユーリには『ありがとう』と言いたい」と殊勝なコメントを残したものだった。
渡久地戦で燃え尽きたのか、ユーリは次の試合で精彩を欠く判定負けを喫し、5年半君臨した王座に別れを告げた。それだけでなく、あっさりと引退してしまったのだ。現在は日本を離れ、ロシアのサンクトペテルブルグに住んでいる。
一方の渡久地は、紆余曲折を経て、ユーリと同じ協栄ジムに移籍して現役を続けた。
協栄ジムで1回だけユーリを見かけたことがあったけれど、向こうも気づかない振りをしていましたね。僕も知らんぷりをしました。話なんかするわけないじゃないですか。
渡久地は30歳直前まで現役を続け、引退後は東京・赤羽橋に「ピューマ渡久地ジム」を興し後進の指導に当たった。3年前、体調を崩したため、今はジムを夫人に任せ、自身は名誉会長職に退いて故郷の沖縄で療養を続けながら家業を手伝っている。
木を伐採したり、家を造ったりと忙しくしていますよ。ユーリはどうしてるんですかね?
僕は現役の時と同じ59キロぐらいですから、やれと言われれば、今すぐにでも試合やれますよ。
ユーリの顔を見るのは嫌だけど、目の前に連れてきてくれればボクシングでもケンカでもどっちでもやりますよ(笑)。今度やれば余裕で勝ちますよ。気合い入れて僕らしく戦って勝ちます。そうだ、ユーリに伝えておいてください。「今度会ったらケンカしましょう」って(笑)。