80年代の特徴としてマスコミ報道の過熱ぶりがある。ENG(ニュース取材用ビデオカメラ)でワイドショーが機動力を増し、写真週刊誌の登場もあり芸能スキャンダルから犯罪事件までカメラ・スクラムが繰り広げられるようになった。
81年から82年にかけて、米ロサンゼルスで起こった銃殺・傷害事件に関して妻殺しの容疑が三浦和義氏にかけられ、いわゆる「疑惑の銃弾」ロス疑惑が弾けた。
特に、三浦氏が逮捕される直前のマスコミの過熱ぶりは異常なほどだった。
アサヒ芸能でも、85年9月26日号はこう報じている。
〈まさに刑事ドラマを地でいく三浦逮捕だった。8階からエレベーターで降りた「時の人」は1階ロビーの報道陣の数に驚いたのか、ドアを閉めそのまま地下に向かった。どっと追いかける報道陣。カメラとカメラがぶつかり「ガツン」という金属音と「あぶねえぞ」という怒号が飛び交う。三浦は駐車場に降り、愛車の黒のフェアレディ300ZXターボに乗りこんだ。後を追う報道陣──。
そのときである。どこに潜んでいたのか、捜査の腕章をした捜査員7、8人が車を取り囲み、「警察だ!開けなさい」「どうしてですか、警察手帳を見せてください」〉
緊迫感溢れるルポである。国民の誰もが感心を持ったロス疑惑事件──。テレビは連日、ワイドショーで特集を組んだ。
なお、女性タレントが実行犯となった殴打事件などでは共犯として有罪となったものの、妻殺しの本件容疑では、三浦氏は日本の裁判所では無罪を勝ち取っている。しかし、事件から約20年後、渡航先の米国領・サイパンで、事件発生現場のロス市警による要請を受けた地元警察に逮捕され、その直後に自殺を図ることになる。