清純な子役からスタートし、やがて、幻想的な艶姿を見せるようになった。女優・鰐淵晴子(71)は、今もどこか浮世離れした存在感を放つ。
私は母親が厳しかったので、キスシーンも許してもらえませんでした。それでも、最初の結婚と離婚を機に、アメリカに渡って写真集を撮ったのが70年のことです。
発表したら母親とは喧々諤々でしたけど、作品としてきちんと残せた。今なおフランスで写真の個展が開かれるなどしておりますので、撮ってよかったと思います。
あのグラマーな乳房の表紙のことをよく言われますが、単にライティングがよかったんでしょうね(笑)。ニューヨークの街角でゲリラ撮影したことも、今では懐かしく思います。
そして今回は、金田一耕助探偵が登場する「悪魔が来りて笛を吹く」(79年、東映)のお話が中心ということでしたね。あの作品に出た時の私は34歳で、激しいベッドシーンというのも初めてのことでした。
私が演じたのは元子爵の椿家に嫁いだ秋子です。40歳になって、大きな娘もいるのに、今なお少女のような若さを持っているという役です。秋子は小さい頃からの乳母を、今もそばに置いて身の回りのことをさせているような女性です。
この秋子には重大な秘密があります。実の兄である新宮利彦と関係を持ったばかりか、その子を産み落としてしまったことが「悪魔が来りて」の由来になっています。
監督は斎藤光正さんで、私は楽屋で涙するくらい、毎日、怒られてばかりいました。監督は黒澤明さんの「白痴」(51年、松竹)をベースにしていて、森雅之さんが演じた主人公を私に重ねているとおっしゃられました。
ただ、私の演技のどこが悪いのかまったくわからない。私はある日、ここまで追い込まれて、悩んで苦しんだ末に出てきた「秋子」が撮りたいんじゃないだろうかと気づきました。
秋子は兄との近親相姦が精神面に作用して、いつも誰かに抱かれていたいと思う烈(はげ)しい女でした。相手が誰であれ埋められない「渇き」があったのだと思います。
演じてみて秋子の気持ちは、どこかわかる気がします。世の中には男と女しかいないのですし、男性にはない「魔性」という特権を女は持つことができる。ああいうミステリアスな部分を演じられて、私は幸せでしたよ。
秋子は事件が解決して、2階の窓から「いつか、こんな日が来るのを望んでいた」と言い残し、深い闇の底へ飛び降ります。秋子は常に、もともと自分は最初から存在していないのではないかという思いがあった。それが、あの落ちてゆくシーンに集約されたのだと思います。
私はその少し前に、ドラマ版の「八つ墓村」(78年、TBS系)で、事件の鍵を握る森美也子を演じました。金田一シリーズのファンの方には、森美也子も椿秋子もモンスター級に恐ろしいヒロインのようですが、そこに「美しくなければならない」という意識で演じられたのは、女優冥利に尽きました。