これは余談だが、右手が不自由になったことによる「副産物」もあった。
「ミスターは今や、左手で書く文字がえらく達筆になってね。最近、元巨人の河野博文氏(現在は玉ねぎ農家)がミスターに玉ねぎを送った際、お礼のサインが送られてきた。それがまるで、右手で書いたように達筆すぎるものだった。利き腕のごとく、手に力が入っている感じだったと‥‥」(球界関係者)
こうした超過酷なリハビリ、トレーニングを休まず続ける姿を知る球界関係者たちは「怪物だ」「まるで現役選手のトレーニング」「いったい、何を目指しているのか」と、一様に驚きを口にしている。
毎年7月、北海道では男子プロゴルフトーナメント「長嶋茂雄招待セガサミーカップ」が開催される。大会名誉会長を務めるミスターはこの大会で「ゴルフクラブを振りたいね」と意欲を見せているというが、ミスターの目標はここにあるわけではなかった。
今年1月2日、毎年の恒例行事となっている成田山新勝寺(千葉県成田市)へ初詣に訪れたミスターは、報道陣にこう語っている。
「リオ五輪も終わり、いよいよ東京五輪ですね。昭和39年以来の日本での五輪をすばらしい大会とするために、皆が協力し合って準備を進めてほしいです」
脳梗塞で倒れた際、アテネ五輪の野球日本代表監督だったミスターは、指揮を執ることがかなわなかった。
「五輪出場できなかったことに、忸怩たる思いがあるんです。故・亜希子夫人が64年の東京五輪でコンパニオンだったこともあり、五輪に対する思い入れは人一倍強い。『五輪は燃えるんだ。興奮するんだ』と公言していますしね」(スポーツ紙デスク)
だからミスターは「侍ジャパンのユニホームを着たい」と漏らし、
「東京五輪に総監督として出場することを最大の目標、リベンジとしている。ミスターの執念は、その一点に集約されていると言っていい」(前出・球界関係者)
吉見氏も言う。
「東京五輪の最終聖火ランナーになる、という打診はすでに本人の耳にも届いているようです。でも長嶋さんはもっと先を目指している。侍ジャパンのユニホームでグラウンドに立ちたいという強い気持ちがあるから、365日ほとんど休まずに、あれだけのリハビリを続けているのだと思う」
2月17日、午前7時30分、記者が自然教育園を訪れると、その10分後にダークグレーのレクサスが到着した。緑のニット帽に黒いジャンパーを着たミスターは、力強い足取りで約20分間、園内を歩く。左手で長い木の枝を持つと時折、立ち止まり、付き添った2人のスタッフと談笑しながら冬木立ちを眺めていた。
ミスターの執念が結実することを願ってやまない。