マンション最上階で「詰め」
孫は、翌94年6月、秘書からFAXを受け取った。すかさず眼を通した。
〈これは絶好のチャンスだ!〉
送り主は、ソフトバンク・アメリカ社長のテット・ドロッタであった。
「『PC WEEK』の出版元であるジフ・デービスが、出版部門と展示会部門を売りに出す」
ジフ・デービスことジフ・デービス・コミュニケーションズは、アメリカ・ニューヨーク州にある。出版部門はコンピュータ関連雑誌の発行では世界最大手である。展示会部門は、情報ネットワークの世界最大級の総合イベントである「インターロップ」を企画・運営し、孫が手に入れようとしているコムデックスの最大のライバルである。年間売上高が約9000万ドル。
孫は決意を固めた。
〈今こそ、買いのチャンスだ!〉
が、孫は出版部門の入札に失敗する。
ただし、転んでもタダでは起きなかった。
孫は94年11月2日に発表した。「ジフ・デービス・コミュニケーションズの展示会部門を買収いたしました」
孫は、ジフ・デービス展示会部門の買収に成功しても、本命であるジフ・デービス出版部門はあきらめきれなかった。しばらくたって、ジフ・デービス出版部門を買収した投資会社フォーストマン・リトル会長のテッド・フォーストマンに会いに出かけた。
テッド・フォーストマンは、風邪をこじらせたのか、鼻をぐじゅぐじゅいわせながら孫の話を聞いた。彼は明らかに機嫌が悪かった。孫の話を途中まで聞くと、うんざりした顔で溜め息をついた。
「おれは買ったばかりだ。すぐに手放せるか」
孫は、その後、またテッド・フォーストマン会長のもとに押しかけた。
フォーストマン会長は、しぶしぶ口を開いた。
「なにしろ買ったばかりだ。採算をとらなければならない。今買うと言ったら相当上乗せしてもらわないと売れないよ」
「わかりました。5、6年後に売る時の価格の満額とは言えないまでも、そのうちの何割かをあなたが買収した価格に上乗せして払う。買ってから半年でそれだけを手に入れられるというのは、あなたにとっても悪い話ではないと思いますが」
「わかった。また明日の夜に話をしよう」
フォーストマン会長は、孫が立ち上がる前にソファから腰を上げた。
孫は確かな手応えを感じていた。
〈ついに、テッド・フォーストマン会長が動いた!〉
孫は最後の詰めにかかった。
翌日の夜、孫はニューヨークのテッド・フォーストマン会長の自宅を訪れた。独身でプレイボーイの評判高いフォーストマン会長は、アメリカにいくつも住まいを持っている。そのうちの一つがマンションの最上階にある。摩天楼が一望のもとにあった。
孫は、照明を落としたやや暗い室内で、フォーストマン会長と向かい合った。
孫は訴えた。「とにかく金額を言ってください。ぼくは最大限にそれを呑む」
「わかった」
孫はさらにつけ加えた。「ただし一発回答だ」「わかった」
フォーストマン会長はぎらりと眼を光らせた。「21億ドル(2100億円)」
孫はにっこりとした。
「オーケーだ」
2人は固い握手を交わした。
孫は、95年10月19日、ジフ・デービスの出版部門を買収したことを発表した。