「犬だからこそオモシロい」
決まらなかったのは、父親役であった。適任と思われる男優の名前が次々にあがった。が、孫の意向に今ひとつそぐわなかった。気に入った俳優が出たものの、所属事務所とはスケジュール面で折り合わなかった。しかし、娘役、兄役、母親役まで最も適任と思える3人を選んだのに、父親だけ妥協するのは悔しかった。
驚くべきアイデアが飛び出したのは、もう撮影に入らないと放映に間に合わないという、まさに時間切れギリギリのことであった。CMプランナーの澤本が言った。
「お父さん役は、犬でどうでしょうか?」
以前のCMで犬を出演させたことがあったので、犬を出演させることは決まっていた。
その犬を、お父さん役に起用するというのである。
「犬をお父さんにして、犬が権力を持っている家みたいにしたらどうか」
佐々木ら50歳代の年齢層に共通する、威厳のある父親がいた家族の原風景。父親が威厳を持ち怒鳴り散らすが、子供たちも母親もどこか白けている。そのコテコテで懐かしい家族の父親像を犬が演じる。しかも、長男が黒人である。
奇想天外な家族が織りなす、日常のストーリーの中で、宣伝広告を訴えかける。見方によっては、その微妙なダサさが味になる。
孫には、とうてい思いつかない発想であった。孫は佐々木らの提案に驚いた。
「これはおもしろい。澤本さんは、見た目はしょぼくれた感じだけど天才だな」
ただし、孫はそのままでは呑みにくかった。
「しかし、お父さんが犬である必要はないだろう」
佐々木は、反論した。
「いや、犬だからこそ、おもしろいんですよ」
澤本も、佐々木に加勢した。2人で孫を説得した。
孫は、ユニークな広告を仕掛けないとNTTドコモに引けを取ることはわかっていた。
「まあ、じゃあ、それでいいよ」
佐々木は、ちょっとした喜びと驚きを噛みしめた。
〈これが通っちゃったよ。孫さん、よく受けたな〉
一家の父親を演じるのは、「カイ」と名づけられた白い北海道犬であった。起用の決め手は、やはりその白さであった。もともとは熊狩りにも使われる勇猛果敢な犬で、威厳のある「父親」の迫力を表現できた。
カイの声は、俳優の北大路欣也であった。北大路は、その頃、木村拓哉主演のドラマ「華麗なる一族」(TBS系)に出演していた。木村演じる万俵鉄平の父親役である。その北大路ならば、威厳があるだけでなく、コミカルな父親として適役ではないかと誰もが納得した。
澤本は、一家の中心である犬の父親に、誰にも有無を言わせぬ言葉を吐かせた。軟弱化して家族にはっきりと物を言えない父親たちの願望も表していた。