経営者や一部の業界関係者だけが参加した限定講演会だっただけに、いつになく、口調も滑らかだった中畑氏。当日、司会を務めたのはフリーアナウンサーの三上和歌香氏だったが、彼女の夫であるDeNA時代の教え子、三上朋也(28)にチクリと牽制を飛ばす一幕も。
「けっこうね、心臓が弱い選手だというふうに言われていたんだけど、つきあってみたらいちばん心臓に毛が生えたヤツだった。オレを監督と思ってない選手ですよ」
この程度の発言はまだまだ序の口。今や怖い者なしの中畑氏はストレートに現在の野球界に直言するのだった。中畑氏はまず、先制口撃とばかりに、2年前に故郷の福島県矢吹町の名誉町民に就任したことに触れ、国民栄誉賞への熱き思いを口にした。
「国民栄誉賞っていうのもらえなかったからね。長嶋さん、王さん、そしてあの松井(秀喜氏)がもらったんだよ。オレが教えて育てた松井がもらって、何でオレがもらえないんだろう?」
あくまで口調は冗談交じりだったというが、中畑氏本人の、球界への貢献度に対する自負にはなみなみならぬものがうかがえる。スポーツ紙デスクが振り返る。
「中畑氏は、元巨人の主軸打者だった実績もさることながら、指導者になってからの業績は、過小評価されている。93年から長嶋政権下で打撃コーチとして、松井を育てたばかりか、04年アテネ五輪の本戦直前、侍ジャパンの監督を務めていた長嶋氏が脳梗塞で倒れると、監督代行として指揮を執った経験もある。中畑氏からすれば、国民栄誉賞をもらって当然と思っているはずです」
実際、指導者としての大きな試練となったのは、アテネ五輪でのことだった。当時を振り返り、中畑氏は侍ジャパンの裏エピソードまで披露した。03年11月のアジア選手権でのこと。長嶋監督の意外な一面に驚いたというのだ。
「もう声カラカラにからしちゃって。ユニホームを着替えながらオレに言ったひと言が『えぇキヨシ、これがプレッシャーなんだなぁ』(長嶋氏の声マネで)。初めて言ったんですよ。それまではいつも『プレッシャー? んんー? 楽しめよ』って言う人が、五輪の『勝って当たり前』と言われる状況の中で、声を出し切って戦い抜いて、予選を終わったあとの、精も根も尽き果てた長嶋さんを見たのは初めてですよ」
そして、指揮を執ることになった中畑氏は、わずか1カ月半の間に6キロも体重が減ったと振り返るのだ。