自分の演技プランを監督に意見する演技派の役者もいるが、北野監督はかつてインタビューで、「そういう役者は二度と使わない」と答えている。
「それ当然だよね。俺が監督だったとしても、役者にあーだこーだ言われたら、使わない。俺だったらその場で『テメー、帰れコノヤロー』で終わりですよ。そんな役者はすぐにクビ。まぁ、俺が映画監督なんてできるわけないけどさ(笑)」
六平はさらに持論を展開した。
「映画監督は才能がないとできませんよ。名前は出さないけど、俺の知り合いの役者で映画を撮って大成功した人なんかいません。1本撮ってやめちゃうのが関の山。あとでどうだったって聞いたら『映画監督なんて苦しくて二度とできないよ』と言ってましたから。映画を撮るということは自由自在に人を動かせなきゃいけない。よっぽどのカリスマ性がないと成立しない仕事ですよ」
それこそ北野監督は、役者のみならず、芸人というスタンスも崩さず、監督として作品を撮り続けている。「才能」そして「カリスマ性」がなせる業か。
そんな「北野組」の撮影現場では、役者と監督は伝達事項のみで、ほとんど会話はないという。
「和ますために監督から冗談を言う時もあるけど、話はしませんね。テレビの『ビートたけし』とは別人ですよ。服装もバラエティ番組のラフな感じじゃなくて、シャツにジャケットを着てる。見た目はよくいる映画監督ですよ。それで監督が『ちょっとやってみましょう』って口を開くと、照明の高屋齋さんとカメラマンの柳島克己さんが動いてサッと撮影、さっと終了。ツーカーなんだよね。頭の中にしっかり絵コンテが入ってるんでしょうね。やっぱり絵描きだから。北野監督のすごいところは色、あの色はすごいよ。天才だね」
六平は05年の「TAKESHI’S」(オフィス北野/松竹)で、そんな北野監督の背中に入れ墨を入れる彫師を演じた。
「あれは緊張しちゃったよ。監督は絵描きだからさ。絵描きに絵を描いたわけだから。監督には『六平さんうまいね』と言われたよ。俺も武蔵野美術大学で彫刻家を志していたこともあったから、監督にほめられるとうれしいよね。お金がないからあんな立派な絵は買えないけど、今度貯金して北野監督の絵を譲ってもらおうかな(笑)」