高校野球に限らず、試合を見ていて驚くような得点経過のゲームがごくごくたまにある。これはまさにそんなケースで、コアな高校野球ファンが「実に惜しかった」と思わず思い出し笑いを浮かべてしまう一戦だ。
その試合の主役となったのは、90年第72回大会で富山県代表として3回目の出場を果たした桜井。79年第61回大会で初出場した時は倉敷商(岡山)の前に2‐3で初戦敗退。83年第65回大会で2度目の出場を果たしたが、鳥栖(佐賀)に2‐6で敗れて初戦敗退と、まさに3度目の正直で甲子園初勝利を目指して乗り込んできたのだった。
その初戦の相手は西日本短大付(福岡)。試合は2回表に早くも動いた。桜井のエース・石橋は1アウトを取ったものの四球を与え、牽制球をそらしたファーストのエラーもあり、ランナーを二進させてしまう。さらにセカンドがエラーし、一、三塁とピンチが拡大。ここでスクイズを許し、先制されてしまった。続く3回表には左越えホームランで1点。4回表にはスリーベースヒットを打たれた後のライト犠牲フライでまた1点と小刻みに追加点を奪われてしまったのである。2回以降、西日本短大付側のスコアボードにずらりと並んでいく“1”を見て「嫌で嫌で仕方なかった」とは桜井のエース・石橋の試合後の談話である。それでも味方打線が1点でも取っていれば、スコアボードの“珍現象試合”として語られることもなかったのだが、西日本短大付の変則の横手投げエースの球を最後まで絞りきれず0封されてしまった。8回裏にはノーアウト二塁という最大の得点チャンスが巡ってきたが、後続がカーブに泳がされて当てるだけの打撃では万事休すであった。
桜井はここから17年後の07年第89回大会で4回目の出場を果たすが、初戦でまたも福岡県勢と対戦。強豪の東福岡相手に8回まで3‐1とリードするも、土壇場の9回裏に追いつかれ、延長11回の激闘のすえ3‐4でサヨナラ負け。いまだ春夏通じて甲子園での勝ち星はない。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=