それは01年の第83回大会でのこと。新潟県代表は春夏を通じて甲子園初出場となる十日町高校だ。ただでさえ緊張するのに、初戦の相手が四国の強豪・明徳義塾(高知)。さらに第4試合で試合開始が午後6時だったこともあり、ナイターになってしまったから十日町の選手たちが自分を見失ってしまうのも無理はなかった。
立ち上がりの1回表。十日町のエース・尾身の調子は決して悪くはなかった。先頭バッターの橋本をピッチャーゴロに仕留め、幸先のいい立ち上がりとなったはずだった。しかし、続く三木のバントでファーストが送球を落とし、3番・森岡良介(元・東京ヤクルトなど)の大きく弾んだゴロをセカンドが後ろに逸らしてしまった。たちまち1アウト一、三塁のピンチ。ともに記録はヒットとなったが、野手はコチコチだったのだ。このピンチで明徳義塾の4番・松浦がセンター前にテキサスヒットを放ち、先制点を許してしまった。明徳義塾の強打を意識しすぎて外野陣も深く守り過ぎていた。当然のように伝令が走ったが、「落ち着いていこう」というベンチからの指示も無意味だった。エースの尾身は試合後にこう首をひねっている。
「何を言われたのか覚えていません。雰囲気にのまれてしまった」
十日町守備陣の乱れにつけこんだ明徳義塾は初回に打者9人で5安打を集中して5点を先取。2回にも2点を追加した。十日町の尾身が自分の投球を思い出したのは3回以降。6回表に森岡に3ランを打たれてさらに3失点したものの、スライダーを丁寧に低めに集めてこの回以外は明徳義塾に得点を許さなかった。
対する十日町打線は尾身の3安打を含む7安打を放って食い下がったが無得点。結果的に14三振を喫し、ほろ苦い思い出とともにナインは甲子園を去って行ったのだった。なお、これ以降、十日町の甲子園出場は春夏通じて1度もない。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=