今大会の高知県代表は高知商である。平成に入ってからは明徳義塾が夏の甲子園に18回も出場するなど高知県球界を引っ張っていたが、第100回の今回は戦後直後から県勢の代表として活躍してきた古豪が平成の強豪に県予選決勝で大勝。一矢を報いる形となった。
とはいえ、敗れた明徳義塾は平成の世に、そして21世紀に入ってからこれまで高知県勢で唯一、夏の選手権制覇を成し遂げたチームでもある。2002年第84回大会のことだった。
この年の明徳は、守りではMAX140キロ超えの右腕・田辺佑介(関大─トヨタ自動車)と筧裕次郎(元・オリックス)のバッテリーを中心に俊足強肩好打のショート・森岡良介(元・東京ヤクルトなど)など堅守が光り、攻撃でも3番で主将の森岡、4番・キャッチャーの筧を中心に強打を誇っていた。またバッテリーが3季連続、森岡が通算4度目の甲子園と大舞台での経験値が多い選手がいるのも強みであった。
初戦で酒田南(山形)を5‐0で下し快勝発進した明徳は続く2回戦でも青森山田に9‐3で圧勝。3回戦で常総学院(茨城)との強豪対決を迎えることに。試合は7回を終えて4‐4と互いに譲らないがっぷりよつの展開に。だが、8回表に2死一、二塁のピンチを招くと左翼線に飛んだ打球にダイビングキャッチを試みたレフトの沖田浩之が打球を後方に逸らし、2点を勝ち越されるタイムリー三塁打とされてしまった。
その裏、明徳の攻撃も下位打線が簡単に凡退して2死。1番・山田裕貴の打球も平凡な三塁ゴロとなった。だが、これを常総のサードが悪送球し、2死ながらランナーを出すことに成功。ここで打席に入ったのが、先に痛恨のミスを犯した沖田だった。そしてこの沖田が名誉挽回とばかりに常総のピッチャー・飯島秀明の2球目を振り抜くと、何とライトスタンドへと打球が消えていった。同点2ランとなったのだ。さらに明徳は続く3番・森岡が初球を右翼席中段に豪快な勝ち越しソロを放ち、7‐6と逆転に成功。そのまま押し切ったのだった。
準々決勝では西村健太朗(読売)─白濱裕太(広島東洋)の2年生バッテリーを擁する広陵(広島)と対決。この試合でも森岡が3安打、4番の筧も2安打するなど中軸の活躍で西村を粉砕。7‐2の快勝を収める。四国勢対決となった準決勝の川之江(愛媛)戦でも初回に1点を先制されたものの、その裏すぐに筧のタイムリー三塁打で逆転。4‐1とリードした5回裏には森岡がダメ押しの3ランを放ち、好投手・鎌倉健(元・北海道日本ハム)を攻略。10点を奪う猛攻で10‐1と圧勝し、ついに決勝戦進出を果たしたのである。
初優勝をかけた決勝の相手は明徳同様に強打がウリの智弁和歌山だった。だが、明徳のエース・田辺は強打の智弁和歌山に2点しか許さなかった。さらにみずから本塁打を放つなど投打に活躍。明徳打線もこの田辺に刺激されたのか計10安打で7得点を奪い、7‐2で勝利。明徳はこの大会、全6試合でチーム打率3割6分1厘と圧倒的な攻撃力を発揮し、1982年第54回春の選抜で甲子園初出場を果たして以来、20年越しでついに全国の頂点に立ったのである。同時にそれはあの星稜(石川)・松井秀喜(元・読売など)への5連続敬遠事件からちょうど10年後の夏の歓喜の瞬間でもあった。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=