テレビ、ラジオなどでのやさしい経済解説に定評のある森永卓郎氏(55)は、吉田拓郎(66)の古くからのファンである。その森永氏の心を揺さぶった1曲、「人間なんて」(71年)に込められた思いとは──。
「コード3つで弾けてどの曲よりも易しかった」
私の中学時代にはすごいフォークブームが来て、男子生徒のほぼ全員がギターを持って歌っていたんですけど、当時のフォークのカリスマ的な存在が吉田拓郎さんだったんですね。みんな拓郎さんの歌をやった。でもすごーく難しいんですよ、ギターで演奏するというのは。その中でいちばんみんなで歌ったのが「人間なんて」。「♪人間なんてララララララララ」というのを延々と繰り返していくんです。コード3つだけで、ず~っと進行できるので、誰でも弾ける。どの曲よりもやさしかったという理由もあったからですね。
私、個人的には拓郎さんの「どうしてこんなに悲しいんだろう」という曲がいちばん心にしみるし、聴くのも好きなんです。でも中学時代にさんざん練習したけど、これを自分で演奏するのは不可能に近い。ものすごく繊細で、微妙なバランスの上に成り立っている曲なので、素人が拓郎さんの曲と歌を再現するのは、まぁ不可能なんですね。それに比べると、「人間なんて」は最高に盛り上がれる。
昭和32年(1957年)生まれの我々って、団塊の世代と第2次ベビーブーム世代に挟まれた、人口のちょうどボトムなんです。学生運動をした団塊のモーレツ世代でもないし、第2次ベビーブームの新人類でもない。すごく中途半端で、どうしたらいいか悩んでいる世代です。そんな悩みがちょうど「♪何かが欲しいオイラ それが何だかは わからない‥‥」という「人間なんて」という歌とマッチしていたんですね。
我々の中では、同じ拓郎の大ヒット曲「旅の宿」(72年)や「結婚しようよ」(72年)は評判が悪いんです。拓郎が商業主義に魂を売った曲だ、と言う人が多い。でも「人間なんて」は魂の叫びであると。まぁ、理解しない人にとっては「アホか!」という歌ですよ。ずーっと「♪人間なんてラララ~」と繰り返すんですから。
当時は今みたいに簡単に男女交際ができてカップルになるというのは、ごく一部を除いて難しい時代でした。だから彼女のいない男同士で大騒ぎする時に「人間なんて」は盛り上がれたんですね。
実は去年の夏、中学時代のマドンナだった女性が長野県で旅館の女将をやっていることがわかったんです。それで、私を含む中学時代の悪友3人でものすごく盛り上がって、休みを取って彼女に会いに行ったんですよ。もちろん結婚されているんですけど、キレイな子というのは40年以上たっても、やっぱりいまだにキレイなんですよ。
それでお昼はいろいろお話ししたり、近所に散歩に行ったりして相手してくれたんですけど、夜は旅館のお仕事があったりして家に戻っちゃいました。彼女は、中学時代は本当にみんなの憧れの存在であり、誰も告白もできない高根の花だった。女優で言えば、木村多江さんに雰囲気がそっくり。すごく控えめなんだけど、何かとてつもない引力を持っているんです。
だから悪友3人がずっと聞きたかったのは、当時、誰とつきあっていたのか、ということ。それをすごく確かめたくて、旅館まで行って聞いたんです。そしたら「中学時代は誰ともつきあわなかった」と言う。3人は地団太踏みましたよ。いまさらどうしようもないんですけど。夜は、旅館のカラオケルームにギターを持ち込んで、「人間なんて」をやったんです。40年たっても弾けるんですよ、この曲は。そういう意味で、拓郎さんの最高傑作なのかもしれません。