今季も数多くの名プレーヤーたちが現役から退いた。中には、弱小球団を常に上位争いができる強豪チームへと変貌させた功労者2人も含まれる。九州が生んだスター・城島健司(36)と小久保裕紀(41)には、かくも伝説が付きまとうのである。
杉内を「焼酎かわいがり」、堀内監督に「逆説教」
97年から01001年までダイエーでバッテリーコーチを務めた野球解説者・若菜嘉晴氏が城島について話す。
「野球に関しては『相手に嫌われるようになれ』『ユニホームを着たら先輩も後輩もない』と指導しましたが、それを実践してきた。負けず嫌いで、いい意味でヤンチャな面が出ていましたね」
若い頃から血気盛んだった。ソフトバンク・王貞治会長(72)がダイエーで指揮を執っていた時代をスポーツ紙のデスクが振り返る。
「王さんに対しても『何言ってんですか!』と激高してケンカすることがよくあった。あの王さんを『アンタ』呼ばわりすることもありましたね。王さんに不満があっても言えない若手たちからは、『ジョーさんに言えば文句を言ってもらえる』と頼りにされていた」
勝負事ならば常に真剣。趣味の麻雀も、駆け引きで負けなかったという。
「麻雀を賭け事としか見ない人もいますが、相手の表情やクセを見抜くのに最高のゲーム。城島にはキャッチャーとしてそうした自覚もあったから、野球で一流プレーヤーに成長していくほど、麻雀でも相手のクセや流れを把握してより勝つことに貪欲になっていきましたね」(若菜氏)
こよなく愛する酒での武勇伝も多い。
「オリジナル銘柄『城島』を監修したほどの芋焼酎好き。飲みに行くと、若手選手たちのロックグラスをチ~ンと爪ではじき、『空いてないね』とやる。酔い潰される選手が多く、若手時代にやられた杉内俊哉(31)はトラウマになって芋焼酎が飲めなくなったといいます」(スポーツライター)
若菜氏が言う。
「王さんは常々、城島のことを『ミスターに似てる』と言っていた。華があって、ヤンチャという部分ですよね。一方、野球に対して真摯なイメージが定着した小久保は王さんタイプだと思います」
確かに小久保といえば、脱税事件や不倫騒動などが報じられてきても、人格者のイメージが付いている。
「巨人時代には外様にもかかわらず、補強によって活躍の場が奪われている若手たちに、『我慢、我慢。やけになったり投げ出したりしたら損するのは自分だ』と説いて信奉者を増やしていました。いまだに『我慢』と書かれた小久保からの年賀状をバッグにしのばせている巨人の野手もいるほどです」(巨人番記者)
とはいえ、小久保が巨人に在籍した04~06年期は、堀内恒夫監督(64)から第2次原辰徳政権(53)へと流れる暗黒時代だった。悪いチーム状況でも、小久保は状況をよくしようと奔走していたという。
「選手とのコミュニケーションが不足していた指揮官に東京ドームでの試合後、『こんなことやってて勝てるんですか!』と一喝したことがある。当時、堀内監督は選手たちに野菜を配るという自分なりの気配りを見せることもあったのですが、選手たちがロッカーに置き忘れて腐らせることが続発し、『こんなことやっても誰も喜びませんよ。それならもっと会話をしてください』と、やはり苦言を呈したこともありました」(前出・巨人番記者)
こんな毅然とした態度を取れるのも、人一倍の練習量をこなしてその背中を見せ続けてきたからだろう。
「小久保は打つだけならもう少しやれたでしょう。それでも引退を決意したのは、30本のホームランを打ったシーズンで引退した王さんと美学がかぶりますね。城島にしてもかつては、試合中、肘に小指大の穴があくケガを負いながらも試合に出続けたほどで、少々のケガでは欠場もしなかった。満身創痍の体はよほど限界だったのでしょう」(若菜氏)
城島と小久保の「第2章」にも期待したい。