昨年夏の都知事就任後の「小池フィーバー」は今や見る影もない。衆院選の惨敗で窮地に陥った小池百合子都知事(65)。「希望の党」の代表辞任で“死に体”を印象づけたが、百戦錬磨の女タヌキに化かされてはいけない。ウラで算段をつける「一発逆転プラン」をスッパ抜く!
「衆院選後の小池さんは人が変わったように、表情はどんよりとして暗い。都庁でお見かけする時も、うつむいていることが多いですね」(都政関係者)
10月22日投開票の衆院選で235人を擁立しながら、わずか50議席にとどまった「希望の党」。選挙戦を率いた小池氏の失望がはっきりと見て取れる。
さらに11月12日に投票(13日開票)が行われた葛飾区議選では、「都民ファーストの会」の候補者5人のうち4人が落選。小池ブランドの凋落が鮮明になった。
区議選の応援に携わった「都民ファ」の支持者が漏らす。
「『冷ややか』という言葉では足りないぐらいの逆風を感じました。駅前の演説でも足を止めてくれる人はほぼ皆無。むしろ、チラシを渡そうとして『インチキ集団が!』と突っかかられた者までいましたね」
もはや「小池」の看板は足かせでしかなかったようだ。
「現場では『全員落選するんじゃないか』とささやかれていましたが、この状況で1人でも当選できたのは、むしろ上出来だと思います」(前出・支持者)
小池氏が「希望の党」代表の辞任を表明したのは開票の翌14日のことだった。会見では、都政に専念する姿勢を強調したが、
「その前から、党の運営は共同代表の玉木雄一郎氏(48)にほとんどまる投げの状態でした」
と語るのは政治ジャーナリストの山村明義氏。その背景について、衆院選敗北で負った心理的ダメージの大きさを指摘し、こう明かすのだ。
「伸晃氏と宏高氏の石原兄弟に対立候補を立てたものの、いずれも返り討ちにあいました。特に松原仁氏と宏高氏の争いになった東京3区には、小池氏みずから4回も選挙応援に駆けつけたにもかかわらず、『石原つぶし』は失敗に終わった。相当無念だったと思いますよ」
昨夏の都知事選と今年7月の都議選で「大旋風」を巻き起こした小池氏だが、
「しばしば台風やハリケーンに例えられます。すさまじい勢いの瞬間最大風力を発揮したかと思えば、ピタッと風がおさまると身動きが取れなくなる。今の状況を『温帯低気圧』と揶揄する声もあります」(前出・山村氏)